成仏させるには暗くて深い川がある

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成仏させるには暗くて深い川がある

「……で、ですね。俺の友人で寺の息子がいるんですよ。まあまだ新米僧侶なんですけど、彼にちょっと聞いてみたんですよ」  俺は生姜焼き&唐揚げ弁当を食べ終えると、ペットボトルのお茶を飲みつつ話を始めた。  カオルさんお勧めの弁当屋は、本当にボリューム満点の割に安かったし味も好みだった。これは今後もお世話になることだろう。  太郎が言うには、元々幽霊なんてのはなろうと思ってなっている訳じゃないんだと言う。そもそも突然死だったりすると、自分が死んでいると分かってない人も少なくないようだ。 「ま、無自覚っての? 俺は幽霊そのものもまだこの目で見たことないから、実際どうなのかなんて分からないけどさ。全部親父からの受け売りだよ」  俺が新居の近くの公園で幽霊を見た気がすると言い、夜にでもまた会ったりしたら怖いので、念のため除霊方法とかそう言うのがあったら教えて欲しい、と尋ねた時の太郎のセリフだ。  奴は俺と違ってオカルト的な話が大好きなので、いや実は引っ越して来たアパートにマッチョの幽霊がいてさー、などと言おうものなら、仕事ほったらかして嬉々として飛んで来るに違いないので本当の事は言えない。  太郎の親父さんはガタイも良くて、法衣を着てなければヤ●ザ的な方に間違えられそうな怖い見た目をしているし、仕事にはすごく厳しい人だと聞く。太郎に余計な事を吹き込みやがってと、とばっちりで俺まで怒られたら最悪である。 「自覚のない幽霊、今回のカオルさんもそのケースかも知れませんけど」  ちなみに俺がミカミさんでなくカオルさんと呼んでるのは彼の希望である。 『会社では三上さんと呼ばれてましたし、少ない友人も三上でしたから、下の名前を呼ばれる機会が亡くなった親しかいなくて。せっかくなので、もし良ければ下の名前で……』  などと言われたら断れないじゃないか。  もう彼の名前を呼ぶ人が現れることはないのだから。 「自覚のある人ない人どちらでも幽霊になる場合は、魂の根っこに恨みがあって成仏し切れない、とか気になる事がある、みたいな何かしら現世に魂を引き止めている理由があるらしいんです。それが晴れれば自然と成仏出来るはずだと。カオルさん何か思い当たる事ありますか?」 『うーん……恨みは特にないですねえ』 「マッチョですし、確かにありそうにないですもんね。じゃあ心残りなんかは?」 『マッチョへのあんまりな偏見。とはいえ心残り……ええと』  首を捻って考えている半裸のカオルさんの姿を見ていたら、俺の方が段々と寒くなって来た。  俺は愛用している愛用のマグカップを棚から取ると、段ボールから取り出した粉末ココアを入れ、電気ポットからお湯を注ぐ。  クルクルと回したスプーンでココアを溶かしながら、思い切って尋ねて見ることにした。 「あのう、これは余談なんですが、パンツ姿以外の格好って出来ないんですかね? いわゆるスタンダードな白い着物みたいなのとか普段着とか」 『え? ああこれですか。さあ、気がついたらこの姿でして。死んだ時のトレーニング姿のままのようですね。着替えもないですし、何しろ実体ないですからねえ。服が着られるのかどうかも分かりません。ああでも別に寒くはないですし、むしろ鍛えた筋肉を見てもらうことは喜びですので、特に気にはならないですよ』  いやカオルさんが気にならなくても俺が気になるんだよ、主に俺が。  喉元まで言葉が出かかるが、俺の言葉で悲しませた挙句に、変に恨みの感情を持たれて地縛霊にでもなられたら厄介だ。まあ浮遊霊と地縛霊の違いも俺には今一つ分からないんだけど。  出来ないことを求めても仕方ないし、ここは俺が我慢すべきだろう。  ココアを飲みながら、俺は黙ってカオルさんの答えを待つ。  不思議とずっと怖いと思っていたオカルト的な存在も、見慣れるとそこまでの恐怖心は湧かなくなって来るもんだなあ、と思う。  カオルさんが半透明でも会話が出来て物腰が柔らかいせいもあるだろうが、赤いパンツのマッチョであるという一点で、こちらも純粋な恐怖心を抱きにくいのである。  夏には暑苦しい、冬には寒々しい、その他は筋肉アピールがうざいというデメリットさえ除けば、ビビりの俺には実はありがたい存在なのかも知れない。 『……あ、心残り、一つだけありました』  顔を上げたカオルさんの呟きによっしゃ突破口来たぜ! と思い確認した俺は、聞いた内容に再び頭を抱える。  【パーフェクトボディージャパン】と言う、毎年開催されるマッチョの大会があるそうなのだが、彼はそれに出場したくてせっせと鍛えていたのだと言う。 『私はフィジーク部門にエントリーしようと、秋の予選に向けてトレーニングしてたんです。冬が本選でしてね』 「フィジーク?」  知らない単語が出て来た。 『ああ、説明不足ですね。マッチョにもタイプがあってですね、細マッチョとかゴリマッチョとかよく言うじゃないですか? 例えばハリウッド俳優さんでよく見るようなムキムキタイプは、全身を鍛えるビルダータイプでして、ゴリマッチョですね。反してフィジークは細マッチョ、いわゆる上半身をメインに鍛える逆三角形の体型ってことで、脚はそこまで鍛えないんです』  言われてみれば、マッチョマッチョと脳内で連呼していたが、カオルさんは海外のアクションスターのようにあちこちがムキムキしているという感じではない。  胸板も厚いし腕もガッシリしている逆三角形型だが、腰は引き締まっており、脚も筋肉こそついているが、そこまで一般人とかけ離れてはいない。  なるほど、俺とは無縁の世界だから知らなかったが、マッチョもひとくくりにしちゃいけないんだなと勉強になった。  ただこの知識が俺の今後の人生で役に立つ予定はほぼない。 『海辺とかにいるじゃないですか。サングラスを掛けた、脚は細身だけど上半身の筋肉が仕上がっているようなサーフパンツの男性が。いかにもモテてますよ~、って人』 「いますね。ゴールドのアクセサリーして都会派でお洒落なセレブっぽいイメージの」 『そうそう。そういったスマートな印象のマッチョがフィジークタイプです』 「で、それに出られなかったことが心残り、と?」 『そうですね……力を入れていただけに本当に無念です』  ──おい太郎。今すぐ来て俺を助けてくれ。  俺は泣きそうだった。  好きな女性に愛を伝えられなかったとか家族に別れを告げられなかった、みたいな心残りなら、俺がその人たちに会ってカオルさんの気持ちを伝えるとか、微力ながらも何らかの尽力が出来たかも知れない。満たされれば速やかに成仏してくれる可能性も考えられた。  だけど、だけどさ、マッチョがマッチョの大会に出られなかったのが心残りだったとか言われても、何をどうすりゃいいんだよ。俺には分かんねえよ。遺影でも会場に持って行けばいいのか? いやそもそも遺影がねえよ、生きてる時に親交がなかったんだから。カオルさんはアパートから離れられないみたいだし、会場まで連れて行けないもんなあ。いやワンチャンスマホとかで写るかな? でも写ったとしても半透明だろうしただの心霊写真にしかならない気がする。  幽霊にあるまじき存在なのはまだいいとしても、心残りの内容までクせが強すぎるってのはおかしいだろうが。俺に一生カオルさんとここで暮らせって言うのかよ。  いや引っ越せば離れられるって俺だってもちろん分かってるよ当然? でも今は無理じゃん? せっかく彼のお陰で格安になっている渋谷区のアパートだよ? 俺はこの幸運を簡単に手放したくないんだよ。分かるじゃん。でもカオルさんは何の迷いもなく手放したいんだよ。  しかし他に何かないのかいくら聞いても『うーん、他はありませんねえ』の一点張りだ。 「友人や好きな人に何か思いを伝えたいとか」 『仕事とトレーニングに時間を取られてましたので、ただでさえ少ない友人も最近は疎遠でしたし、恋人以前に好きな女性もいませんでしたからねえ。あ、ゲイでもないので好きな男性もいませんよ』 「そう、ですか……」  肩を落とす俺に、カオルさんは申し訳ないと言った声で優しく語りかけて来た。 『私は元々自分に自信がなくて、学生時代は無口で陰キャでひょろひょろした体をした、本当にどこにでもいるような地味で目立たない存在でした。友だちと言えるほどの親しい人も少なくて、勉強ばっかりしてるような奴だったんですよ。ほら勉強ってやればやっただけ結果が出るじゃないですか。人付き合いが上手く行かなくても、自分はこれだけは頑張ってるぞって結果で言えるでしょう? だから勉強がとても好きでした。今のこの姿からは想像もつかないでしょうけど』 「あ、でもそれは少し分かります。俺も家でゲームしたりマンガ読んでるのが好きなインドアな人間なんで、付き合いのある友人もさっき話した太郎ぐらいしかいなくて。クラスでもオタク扱いされて浮いてたんですよね。せめて大学はいいとこ行って、バカにしてた周囲を見返してやろうと思って必死で勉強したんですけど、落ちちゃって。ははは」 『……すると、今回引っ越して来られたのは、こちらで予備校などに通われるつもりで?』 「え? ええ、まあ」 『コウスケさんが己に目標を掲げ、決して諦めない気持ちを持っているのはとても素晴らしいことだと私は思います』  うんうんと頷くカオルさんに、俺は少し居心地が悪い思いがしてそっと目を逸らす。  行きたい大学があると言うよりは、ぶっちゃけ親を納得させられるレベルの大学に行けば、社会に出るまでの四年間の間に人並みの人付き合いや社交性を学べて、まだ手探り状態である「自分の進みたい目標」を見つけられるんじゃないか、という安直な理由なのだ。そんな立派で崇高な目標なんてものはない。  カオルさんはきっと生前も優しい人だったんだろう。  少なくとも浪人生なんて、一回の試験で合格も出来ないアホのイメージを持つ人だって多いだろうに、人を貶めるような言動をしないだけでも思いやりがある。  彼は一息ついてまた話を続けた。 『──私は、大学こそ国立に進めましたけど、大学デビューではっちゃけるとかそういう明るいキャラクターにもなれなくて、心を割って話せるような友人も結局ほぼ出来ませんでした。逆にやらかすこともなかったお陰で単位はキッチリ取れましたし、教授からの評価も高かったんですけどね。就活初めて早々に有名企業から内定も貰えましたし。とりあえずは給料稼いでまずは両親に親孝行でもしようかと考えていたら、卒業の少し前に二人とも交通事故であっさりと亡くなりました』 「それは何とも……ご愁傷様です」 『お気遣いありがとうございます。でね、一人っ子で親族の付き合いもなかったので就職時には見事に天涯孤独です。それで親孝行も出来ずじまいです。何だか人生が虚しくなっちゃいまして、すべてにやる気が起きなくなってた時に、先ほどのマッチョの大会の様子をテレビで見たんです。ああ勉強と一緒で、これもやればやっただけ成果が出るんだなあ、と感心していたら自分もやりたくなってしまったんです。何も考えなくて済むような目標が欲しかったんでしょうね』 「確かに、筋肉は裏切らないって言いますしね」 『ええ。それにいつも自信がなかった己の意識も、見た目が変われば少しは変わるんじゃないかと思って。それで徐々に結果が出るにつれ、自分に自信がついて来たのまでは良かったものの、トレーニングや食事制限などで体を酷使し過ぎて早死にしたみたいですから、気持ちと身体のバランスが合ってなかったんでしょうね。死んだ奴と一緒にされてもご迷惑でしょうが、私とコウスケさんはちょっと境遇に似たものを感じます。だから私に気づいてくれたのかな』  だからちょっと同情しちゃうような身の上話するのを止めろ。  身につまされるし、成仏して欲しいだけなのに良心の呵責を感じるだろうが。  もっとこう、性格悪い嫌な感じの人間であれ。 「何か出来ればと思ったんですが、お役に立てずすみませんでした」  俺が謝ると、カオルさんは首を振った。 『いえ大丈夫です。コウスケさんがこれから力になって下されば』 「は?」 『ねえコウスケさん、私の代わりに出て下さいませんか? パーフェクトボディージャパンに』  ……なあ太郎、やっぱすぐ来て。  真顔で下手な宗教の勧誘より怖いこと言ってんだけどこの人。何とかして。
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