1/1
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/124ページ

「はあ、はあ、はあ」  私の足は、階段を踏みしめるたびに確かな重力を感じている。  初日だからと担いできた段ボールが重い。必要最低限を持ってきたつもりだけど、異動となるとそうはいかない。  恰好をつけて履いてきたヒールのある靴に心底恨みを乗せて、私の目はやっとフロアを捉えた……あと10歩だ。 「なんっで、3階で、エレベーターじゃ、ないのよっ」  私は怨念を込めて息吐いた。乱れた髪なんか構っていられない。そもそも、適当にとかした髪を一つに結んでいるだけだ。髪はどうでもいい。それに艶とまとまりなんてものは、いつからか消えている。  目的のフロアまで、3歩、2歩、1歩。 「あ゛ー……」  到達した。  ついに、やってのけた。    まだ今日の仕事は何も始まっていない。なのに、既に金曜の夜を迎えたような気分だった。  私はただの薄汚れた白い天井を仰ぎ、5秒固まった後、自分の腕時計を見た。 「えっ、やばっ」  あと5分だ。流石に初日からぎりぎりなんて良くない。というか、余裕をもってついたはずなのに(1階の時点で)、従業員は階段使用というルールのせいでこうなったんだ。……今日くらいはこっそり使っても良かったかもしれない。  とにかく急がなければ。    私はすぐさま廊下を小走りで進撃し、次の曲がり角めがけて突進した。 「うわっ」 「おっ」  突進した先は、誰かの胸板だった。  詰め込まれていた段ボールからペンが飛び出して、4.5本空中に舞う。  私は直ぐに平謝りして、段ボールを一度床に置いた。 「す、すいませんでした!」 「あ、いや。こちらこそ。ペンどうぞ」  私は差し出されたペンを掴んで相手のネクタイから上へ視線を移す。  挨拶は顔を見て言うのが基本、というのが身に染みている。 「ありが……黒崎⁉」  私は目を見開いた。なんとぶつかった相手は、自分のかつての同期である黒崎明(くろさきあきら)だったのだ。 「なんで俺の名前知って――」  名前を言われた黒崎は驚き、私を思い出そうと口を開けたまま、上から下へ目線を移し、そしてゆっくりまた私の顔をみた。 「まさか…………ダリ?」 「なにその間」 「いや、お前明らかに前より太っ――」 「それ以上申すなバカ崎。傷口ぱっくりだから」  そう。入社して間もないころの私は、こんなに太っていなかった。黒崎とは、研修期間中はそこそこ親しかった。しかし、研修が終わってからそれぞれ配属され、連絡も自然に途絶えてしまっていたのだ。あのころの私と今は、大分変わったと言っても過言ではない。  
/124ページ

最初のコメントを投稿しよう!