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 幸子が小学校を出ると同時に、夫が入院した。主治医からもう長くないと宣告されたその日。入院先の病床で、私たちは何も言わずに見つめ合う。 「幸子を、頼む」  かすれた夫の声が、聴こえてくるみたいだった。泣きじゃくる幸子の手を握り、声を殺して私も泣いている。  1週間もしないうちに、夫は逝った。左腕のことは、何も語らぬまま。  病室の外のイチョウの木から、葉が数枚、落ちていった。  それから私は知人のツテで、近所のミシン工場の職を得た。夜は幸子が寝てから小さな明かりひとつで内職をした。夫が遺してくれたお金がいくらかあったものの、そのお金には手を付けられない。私は女学校を出ることができなかったので、幸子には高校まで出て欲しくて、毎日毎日、身を粉にして働いた。  高校へは行かずに働くと言う幸子と大喧嘩になった。  しぶしぶ商業高校へ入学した幸子だったが、私が無理強いしたのが悪かったのか、環境が悪かったのか、家では口を聞かず、学校をサボって遊び歩くようになった。私はその度呼び戻しに走り、学校から呼び出されれば頭を下げに行った。 「離せよババア! 私なんていなくなったほうがいいだろ!」  遊び歩く幸子を街中で見つけ、腕を掴んだとき。たしか幸子はそう言って、憎々しい目で私を見据えた。おおよそ幸子から聞いたこともない乱暴な言葉。そんなことを思っていたなんてつゆほども知らなかった私は、勝手にも傷付いていた。  それでも掴んだ腕はそのままに、家路を急ぐ。いなくなっていいわけがない、今の時代、高校だけは出なければ就ける職が狭まってしまう。そんなことを話した。幸子は黙って聞いていた。押しつけでも、「ババア」と呼ばれ恨まれても、幸子の人生の財産になるならなんだっていい。  そう自分に言い聞かせた。  その後幸子はなんとか高校を卒業し、就職先も決まったものの――母娘の溝は完全に埋まることがないまま、就職と同時に家を出て行ってしまった。  スクリーンの映像を観ながら、私は思った。  幸子のため、幸子のためと脇目もふらず懸命に働いたけれど。幸子が笑顔で私に話しかけたとき、私は疲れて半分寝ていた。幸子が不安そうな顔で私に話しかけたとき、私は内職する手を止めなかった。  幸子は、寂しかったのではないか。  私はそれを謝ることすらせず、今の時代女も高校くらいは出ておかなければならない、頑張れ頑張れと努力を強いた。あの時私が言わなければならなかったのは、もっと違う言葉だ。    なんてばかだったのだろう。  これを観て気付くなんて、遅すぎる――。
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