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Scene 4 暗躍者
店の壁に沿ってぐるっと一周してみた結果、建物の裏手に白いドアを見つけることができた。たぶんこれが従業員用の出入り口だろうと目星をつけ、男は、十時ごろからそのあたりで待機していた。
ドアの前の小道でガーデンチェアーを見つけてそれに腰掛け、足元に鞄を置く。銀色の大きなまるいごみ箱が照明を反射して輝いていた。
一応、ショップカードをもらってきてあるので、店に電話してもいいのだが、閉店時間後でも応答してくれるのだろうか。だいたい、なんて言って電話を替わってもらえばいいかわからない。
もう三十分ぐらいは待っているが誰も出てこなかった。どうしようかと逡巡しているうちに、やっとドアが開いたので、男は立ち上がった。
出てきたのはアンドロイドのウエイトレスだ。
彼女が男に気づいてぺこりと頭を下げてきたので、男も軽く頭を下げ返す。
よかった、これでナオを呼んできてもらえる。男は安堵して、彼女のほうに歩き出した。
と、そのすぐうしろから小柄なおかっぱ頭の女性が飛び出してきて、男の行く手を阻んだ。「この子に近づかないで!」
おおきく両手を広げて、とおせんぼをしているつもりらしい。
男は訳もわからず、その場に立ち止まった。
「あなたアリサのストーカーね? アリサに何するつもり?」おかっぱ頭が言う。
あまりのことに男の口は「え?」という形で固まったままだ。
「ナオちゃん、違うよ。この人は―――」
アンドロイドのウエイトレスが割って入ろうとしてくれたが、「大丈夫だから! アリサはそこにいて!」と大声で遮られて口をつぐんでしまった。
おかっぱ頭は近くにあったゴミ箱からふたを持ち上げ、素早く胸の前でかまえた。
男の目に映る彼女は、いまや、輝く銀色の盾をたずさえた勇敢な戦士だ。
その後ろに、目をぱちぱちさせながら、呆然と立ち尽くすアンドロイドの姿も見える。
状況がよく呑み込めないものの、早急に誤解を解く必要があることだけは男にも理解できた。そこで、なるべく誠実に見えるよう、真面目な表情をつくって説得を試みる。
「あの、ちょっといいですか? あなた、何か大きな勘違いをされていると思いますよ。わたしはストーカーじゃない。誤解なんです。ね……いっかい落ち着きましょう」言いながら、両方の手のひらを相手に向けて上げ、降参のポーズをつくる。
ところが、おかっぱ頭のナオちゃんは、男の行動を見て何を勘違いしたのか、えらく焦ったようだった。「う、動かないでよッ!」と叫ぶと同時に、銀色の盾を取り落としてしまった。盾はコンクリートの地面にぶつかってガシャン、と金属音を響かせた。
「なんだ?」ドアから男が出てきた。「いま、大きい音しなかった?」白い服を着た背の高いその男は、アンドロイドとおかっぱ頭を交互に見て訊いた。
「オオウラ君! このオジサンが……」言いながら、おかっぱ頭が白い服に駆け寄る。
「ナオ!」男は思わず叫んだ。
「父さん?」
ストーカーに間違えられた男―――大浦功は、一年足らずの間にすっかり男らしく成長した息子、大浦直を見て驚いていた。会わない間に誕生日を迎え、二十一歳になっているはずだ。
「このオジサ、いえ、このかた……大浦君のお父さんなの?」おかっぱ頭のナオちゃんは目を見開いて尋ねた。
「ナオちゃんよく見て。お父上と大浦君はそっくりじゃないか」アンドロイドのアリサに優しくたしなめるように言われて、ナオちゃんはようやく合点がいったようだった。
「ごめんなさい! 私、なに考えてたんだろう……恥ずかしい……申し訳ありませんでした」
「いえ。こちらこそ、怖い思いをさせてしまったようで、申し訳ない。早く名乗るべきでした。ナオさんと、アリサさんでしたね。息子がお世話になっています」大浦は頭を下げた。
「あの、ちょっといい? 割り込むようで悪いんだけどさ」それまで黙って成り行きを見守っていた息子が口を開いた。
「どうして父さんがここにいるの?」息子はまっすぐに大浦を見つめている。
「ああ、うん……。実は昨日、やっと母さんから、おまえが働いてる店を教えてもらえてな。久しぶりに顔を見ておこうと思って」
「それだけ?」息子は納得していないようだった。
ここで「それだけだよ」と答えるのは簡単だ。しかし大浦は、それは正解ではない気がした。
「その……お前が勝手に大学をやめたとき、ろくに話も聞かずに怒鳴ってしまっただろ。それを謝りに来た。悪かったな。あ、いや……ほんというと、最初は連れ戻そうと思って来たんだよ。だけど、やめた」
「ふうん」息子がそっけなく言った。
「パティシエ目指すって本気だったんだな。アップルパイおいしかったよ」
「食べたの?」息子は驚いたようだった。
「こちらのお嬢さんが勧めてくれたから……ですよね、アリサさん? わざとオーダーを間違えたふりをして持ってきてくれたんだ」
「大浦君から、お父上とケンカして家を飛び出してきたと聞いていたので、つい。差し出がましいことをしたと反省しております」アリサがうやうやしくお辞儀をした。
「いえいえ。あのアップルパイがきっかけで、息子を応援しようって、気持ちを切り替えることができたんです。ありがとう。それに、息子が専門学校やバイトで頑張っていることも、さりげなく教えてくれたでしょう?」
ナオがからかうように肘でアリサの腕をつついた。
アリサの頬がピンク色に染まる。
大浦は、改めて三人の顔を見渡した。
「ほんとうに、今日は来て良かった。アリサさんとナオさんに会えたし、人生イチおいしいアップルパイを食べられたし、元気な息子にも会えた。ありがとうございました」
「もう、なんだよ急に……すげーびっくりなんだけど。父さんがこんなにしゃべるの初めて聞いたよ」
息子は首の後ろに手を当てている。たぶん、照れているのだろう。
大浦は息子と顔を見合わせて笑った。
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