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「─てぃ……、べてぃ、…ベティ!」
鼓膜に届く美しい声に私はゆったりと瞼を開けた。眼前には眉根にシワを寄せたパトリシアが存在する。呆れたようなその表情に形容し難い感覚を覚えた。これが愛される、ということなのだと。私は欠伸を携え、机から顔を上げる。
「また家に帰らなかったの? いい加減にしなさい。ようやくドミニクとよりを戻したのにまた愛想を尽かされるわよ」
「……耳が痛いわね」
体を起こすと肩から、はらり、なにかがずり落ち落下した。床に落ちたそれを一瞥し、確認すると毛玉を纏ったブランケットだった。──数時間前にスタンが。そうパトリシアが教えてくれる。私はそのブランケットを手に取り、再度肩に羽織った。希望の香りがする。陽だまりのようなあたたかい香りだ。
新しい友達ができた。彼女の名をパトリシア。彼の名をスタンリー。そして、
「冬が終わったといってもまだ寒いんだから本部でなんか寝ないの」
「わかっている、トリッシュ。心配してくれてありがとう」
「あなたはいつも言葉だけよ」
私は冬を乗り越えた。あの雪の降る冬を飛び越えた。なんて素晴らしいことだろうか。
パトリシアが私の目の前に白いマグカップを置いた。その中に浮かぶ黒色の液体。揺らめく湯気。
私はいつだって誰かが愛を持って差し出してくれた物にありつけたことはなかった。たった一杯の水を欲していた。豪勢な食事じゃなくてもいい、高値のアルコールじゃなくていい。ただ愛を持って、私のことを気遣って差し出してくれる一杯の水が欲しかった。それが今、目の前にある。
「……またコーヒーサーバーのコーヒーが不味いって言うの?」
「なんで? そんなこと言うはずないわ」
「あっそ、ならいいけど……」
このコーヒーは私の血となり肉となる。この温かさは、あの冷えた薄暗い部屋で膝を抱えていた9歳の女の子の助けになる。未来の尻尾をようやく捕まえた。逃しはしない。
「全員集まってくれ。死体が発見された」
私たちのボス、ホセ特別捜査官が部屋に現れ、凛々しい言葉を放つ。パトリシアは小さく溜め息を吐いた。
「いつになったら犯罪は終わるのかな」
「終わらないわよ。人間の内面は儚く、そして酷い。一度ヒビが入れば後は破滅に突き進むだけ。後は野となれ山となれ」
人生は続くから、生き残れる選択を選んでいかなければならない。
「……イヤな話ね」
「あとでヴィヴィアンの所に行きましょう。甘いもの食べないとやっていけないわ」
「奢り?」
「えー?」
「わたしママよ。少しは労って」
パトリシアのその言葉に小さく笑い、いいよと答える。
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