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その声色は私の鼓膜をすり抜け、心臓を握り潰した。怖い。恐怖で足がすくむ。なぜ? なぜだ。私はそんなヤワじゃない。数多くの凶悪犯と対峙してきた。慣れている。慣れているはずだ。なのに……。
「ベティ? 私はこっちよ」
「……、クレア・ウッド」
私は恐る恐る背後を振り返る。彼女はやはり美しい姿勢で佇んでいた。建物と建物の間にある細く通り抜け出来ない路地裏に可憐な女はいる。青色と赤色のホイップクリームで彩られたカップケーキを頬張りながら、ひらり、こちらに向かって手を上げていた。
「はぁい。エリザベス」
「どうして、名を知っているの?」
「……んー。そうねぇ、私はあなたをひと時も忘れたことはないから、かしら?」
私は生唾を飲まながらもクレア・ウッドを見つめた。飄々とした表情でクレアも私を一瞥している。鏡を見ているようだ。きみが悪い。それよりもこの女は私を知っているようだ。それが尚のこと不快である。
カップケーキの赤色のホイップクリームを鼻に付けた女は妖しく微笑む。
「そっちは私のこと忘れているようね。……まァ、仕方がないことかもしれないけど、とても寂しいわ」
「……回りくどいことは嫌いよ。知っていることがあるなら教えて」
「あら。FBIの尋問も大したことがないのね。教えてー、はい、教えまーす、にはならないでしょ? そんなんだから私を忘れるのよ」
私を見つめるクレアの瞳は敵意さえも孕んでいて、まるで人間を捨てた獣のようだった。それはやはり犯罪者のそれで、どうしたって私はこの女との接点を見つけられない。
「今日、私の誕生日なのよ。こう素晴らしい日にケーキを食べるのはいいわね。今までこういうの食べられなかったから最高よ」
「……」
「冬は嫌いなんだけど、でも今日は清々しいわ」
掴み所のないその女は笑みを絶やさず私に語りかける。クレアは紙コップに入った湯気の立つコーヒーに口をつけた。私はただそれを見つめるしかない。
ケーキを食べられなかった。冬は嫌い。その一言一言を脳裏に書き加える。
「ベティ、あの傷どうなった?」
「きず?」
「……ほら。右足の太腿、裏側。弾が掠った傷よ」
じくり、言われた場所にある傷が痛み始めた。雪を裸足で走ったあの日。猟銃で撃たれた足。男の怒号。夢で見たあの記憶。私だけしか知らないあの記憶。
「なぜ、そ、れを……?」
「あの人死んだよ」
「……、だれ?」
「ベティ、あなたを撃った人。……私たちを苦しめた人」
クレア・ウッドが少しずつこちらに近付いてくる。距離を取るべきだ。取るべきなのに足が動かない。あの日と同じように雪を裸足で走る感覚がする。痛い、痺れる、苦しい。
「……私を置き去りにしたあなたを私は一生許さない」
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