10-17B

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 言葉の端々から漏れ出る呪詛。私を心底憎んでいるそれに脳みその芯がチリチリと痛む。  慣れていた。犯人の話を聞くことには慣れていた。繰り返される事件、幾つもの変死体、むごたらしい死と犯人の悲しきバックボーン。それらは私が手を伸ばせば数センチの近くにあって、繰り返されるそのサイクルに心を病むようなヤワな人間は捜査官になどなれない。人を人だと思っていない凶悪犯を捕まえるにはこちらも人間の心を捨てなければならない。同情などしていられない。それは等しく人間(⚫︎⚫︎)の形を保つ為だった。犯人に同情し、彼らの闇に足を突っ込んだ人間が辿った末路は、麻薬、汚職、強姦、それら数え切れないものに様変わりする。  だから私はクレアに同情なんてしない。私は人を殺すような鬼畜にはならない。人間で無くてはならない。 「……なにが、も、くてき?」 「私たちはふたりでひとつなの。そうでしょ? あなたがそう言ったの。だから私、あなたになりたい」 「…、どう、いう…意味…、?」  そんな時だ。頭上から軽快な電子音が響いた。クレアは小さく息を吐いて私の頭から手を離す。クレアの力が無くなったことで酸素を求め一気に肺に空気を送る。急激に呼吸をしたことで渇いた咥内がちくちく痛みを受ける。そして喉に異物が詰まったような感覚を覚えた。咽せて激しく咳をする。  そんな私を見つめクレアはジェスチャーで静かにしろ、と訴える。クレアはどこからか取り出したナイフを私の喉元に突き付けた。ナイフの刃が冷たい。 「はぁい。ドミニク? どうかしたの?」  その言葉は弾丸のように私の息の根を止めにかかった。穏やかなクレアの笑み。私の恋人と話すクレアは私そのものだった。私だ。 「いま? 大丈夫よ。……マフラーを忘れた? そんなことで電話してくれたの? ありがとう。今日は寒いものね。心配しないで、今日は遅くならないで帰るわ」  この女、……なに言ってんの? 「うん、わかった。あなたも寒くならない時間帯に帰ってきて。……私も愛している。また後で」  スマートフォンを切ったクレアは私を柔和な瞳で見つめていた。瞳の奥に存在するどす黒い殺意。傲慢で身勝手なその行為。善悪の境界線を軽々と飛び越え、そこで踊っている。私は迫り上がってくる恐怖に太刀打ちが出来なかった。おえっ、体内を逆流する物体を口から吐き出す。吐瀉物が床を汚した。 「私あなたになりたいの」 「っ、……ゆるされ、ると思って……」 「私が赦すの。私は私を赦し、私が私を救済するの。誰も助けてくれなかったから、私が私を助けるの」  私たちは生まれ落ちた瞬間から正しくない場所にいて、正しくないことを強要され、正しさを失った。理解できないものに押し潰されていた。解らないことが多かった。 「愛されたいの。大事にされて、誰かに愛されたいの。平凡に生きていきたいの」 「……私は! 私は悪くない! あの冷たく寒い夜を裸で走った。私が! 私が手に入れた人生よ!!」 「そうね。でもそんなの関係ないのよ。……こういう人間仕事場で何度も見てきているんじゃない? 一度悪に手を染めた人間は手加減なんてしないのよ」  クレアの真っ黒な瞳の中に溶かされていく様だった。蟷螂のように頭から喰われる感覚だ。  過去は忍び足で背後を取る。そして一気に撲殺されて終わりだ。  
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