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「─てぃ……、べてぃ、…ベティ!」  私の名を呼ぶ声が大音量で耳に挿入された。私は勢いよく体を持ち上げる。シパシパする眼球をどうにか回しながら声の主を探す。  私の名、エリザベスを愛称で呼ぶ女性は呆れたような顔付きでこちらを見ている。声の主である彼女の手には白いマグカップ。ことり、音を立てて私の目の前に置かれた。 「また家に帰らなかったの? 捜査資料の山で寝るなんてあなたらしいけど、ちゃんと休んだほうがいいわよ?」 「……ぱと、りしあ。おねがい、もうすこし、ゆっくり喋って……」  疲労からかいつもより脳の動きが活発ではない。私は溜め息を吐き出しながらパトリシアを一瞥する。  パトリシアは私の目の前に置いたマグカップを、ズイッとより私の方に押し出し、無言で飲め、と圧力をかけてくる。  私はそのマグカップを覗き込む。揺らめく黒色。白いマグカップに映えるその黒色に眉間にシワが寄る。このコーヒーを誰が淹れているのか検討もつかないが、正直ゲロ不味い。なんなら、ゲロを飲んだ方がマシとも思える。砂を飲み込んだら、こんな感じだろうかと、(きた)る生き埋めに備える日々だ。 「……誰が淹れてんの、コレ?」 「コーヒーサーバー」 「だからってこんなクソ不味いことある? 普通に考えてこんなのコーヒーへの冒涜よ」  徐々に回復し、普段通りに稼働してきた脳みそで同僚のパトリシアに文句を言う。ちぃッ! 激しい舌打ちが鳴り響き、パトリシアはどこからか出てきたミルクと砂糖を豪快にマグカップに入れ、自身の指でかき混ぜた。 「私の指の汗は美味よ」 「……俄然飲む気が無くなった」  パトリシアの切れ長の瞳が私を睨み付ける。射抜く双眸にこれ以上駄々を捏ねるのは得策ではない、と彼女との付き合いで得た経験を元に弾き出す。  私は小さく微笑み、マグカップに口をつけた。こくん、嚥下する。朝食を食べていない胃袋には少々刺激が強過ぎたようでキリッと突き刺さる痛みを感じた。   「それにしてもこんな寒さの中でよく本部に泊まれたわね」 「……あー、まぁ、慣れてるから」  私はどうやら捜査資料を眺めながら寝てしまったようで、机に突っ伏していた。  パトリシアが私のほおを指差す。机で寝たからかほおに痕がついているらしい。 「……言うか迷ったけどうなされていたわよ。こんな場所で寝るから」 「そんなに怒らないで。悪かったわ」  パトリシアが私の身を案じていることはヒシヒシと伝わってくる。この仕事はなによりも体が資本だ。  パトリシアは呆れたように小さく微笑む。  夢で見たあの日も、今日みたいな凍える寒さだった。ベティ。私をそう呼ぶあの男を私は知らない。
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