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「なー、トリッシュ……ってベティ、また泊まったのかよ。顔死んでんぞ、つーか、この部屋、さむっ…!」  パトリシアの指の脂が攪拌されたコーヒーを胃に流し込み、朝食でも食べに行こうかと椅子から腰を上げた時だった。パトリシアを愛称で呼ぶスタンリーが顔を出した。  深緑のタートルネックにスラックスと仕事場に似合わないオシャレな三十路の男はブロンドの髪の毛を無造作にかき上げる。私を怪訝な顔で見つめる彼は現場には出ず、コンピューターを通して事件解決をバックアップしてくれるテクニカルアナリストだ。見目麗しさと頭脳明晰が相まって他の部署にファンが多数存在する。 「スタン、あなたは今日も美しいわね」 「あんがと。昨晩は彼に癒やしてもらったから」  パトリシアがお肌艶々のスタンリーを茶化す。  映画スターかよ、と嫌味のひとつでも言ってやりたいほどに顔面が美しいが、残念ながら彼はゲイだ。しかも恋人持ち。スタンリーは自身のマイノリティを公にしていない為、他の部署の捜査官たちは知らずに猛アタックしている。スタンリーは事あるごとに丁重に断るから彼の株は鰻上り。彼曰く─刺されたくない。だそうだ。逆効果では? と私とパトリシアは笑っている。  にししッと笑うスタンリーは思い出したようにパトリシアに昨日(さくじつ)、展開を見せた事件の概要を伝えている。    殺人事件というのは突如として始まるものだが、これも例外ではなかった。  3ヶ月ほど前の朝、川から1体の若い女性の死体が浮き上がった。釣りをしていた男性のリールに引っ掛かったそれは丁寧に全身の皮膚を剥ぎ取られており、猟奇的殺人事件として私たちの管轄に回された。  当時、通報を受け最初に現着した捜査官が犯行を見て、『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビルのようだ、と呟いたことがきっかけで身内の間ではバッファロー・ビル事件と密やかに呼ばれている。 「ま、俺たちFBIが無能なのか相手が有能なのかは俺には判断出来ないけど、昨日の遺体、マギー・パーカーも今までと同様だな。SNSアカウントは問題なく動いていて、ライフラインインフラも滞りなく支払われている」 「……ありがと、お疲れさま」  報告を済ませ、ひらり、手を上げて去っていくスタンリー。パトリシアは口を窄め、肩を落とす。落胆。この事件、まさにどん詰まりであった。  昨日、廃車場で発見された遺体、マギー・パーカー、28歳。彼女は体の皮膚は剥ぎ取られていなかったが、代わりに頭蓋骨を開けられ、脳みそを奪われていた。  私は昨晩、眺めながら寝てしまった写真を見つめる。マギー・パーカーの開けられた頭部の写真だ。捲れ上がる頭部の皮膚、その下にはあるはずの脳みそがない、空洞。 「朝食、奢る」 「……私子供と食べてきたわ」 「いいママね」  私はパトリシアに朝食を断られながらも、ふわり笑った。彼女はいい捜査官であり、いい母親であった。
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