『ブツ』

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『ブツ』

 「君には今の仕事……向いてないんじゃない?」  電車の席に座った途端、課長の言葉が脳裏に蘇る。  「今日も営業……駄目だったんでしょ? まあ、あまり期待してなかったけど」  課長の言葉が頭に居座り続ける。気晴らしにスマホでニュース記事を見るが、何だか集中できないしモヤモヤする。  ふと頭上を見上げる。  電車の広告が目に止まる。  【そんなに嫌なら辞めちゃえば?】  缶コーヒーのポスターだ。  大御所ミュージシャンが缶コーヒーを片手に満面の笑みを浮かべている。その横に白文字でキャッチコピーが書かれていた。  (そうだな。今の仕事はブラックだし、辞めるか)  もう明日には辞表を提出しよう。そう思ったら気が楽になった。  またふと上を見上げる。今度は荷物棚のほうに視線を送る。  荷物棚には旅行者らしき人の大きな黒色のリュック。それから学生のだろうか、サッカーリュックが置かれていた。そして、黒色のリュックとサッカーリュックの間に何やら茶色い物体が見えた。  (あれは……なんだろう?)  よく見るとそれは茶色い紙袋だった。小さな紙袋。誰かの忘れ物だろうか。  その時、急に私の頭にテレビドラマのワンシーンが流れ始める。  警察にマークされている一人のヤクザの男。  その男がブツの受け渡しで電車に乗る。  すると優先席の上の荷物棚に現金と麻薬、拳銃の入った茶色い紙袋が置かれている。  ヤクザの男が周囲に怪しまれないよう、駅の売店で購入したスポーツ新聞を手に持ち、読むふりをしながらブツを確認する。  そして、終電の駅についた時、ヤクザの男は素早くその茶色い紙袋を手に取りホームに降りる。  男は紙袋を開け中に入っている現金、麻薬、拳銃を素早くコートのポケットにそれぞれ入れた後、走って姿を消す……という小学生のころ再放送でよく観ていた刑事ドラマのワンシーンが鮮明に頭に流れた。  (もしかして、あの紙袋……中にブツが入っているんじゃ……)  なぜか、根拠のない妄想が始まる。中には現金が五百万くらい入っていて、それを今誰かが受け取ろうとしてるのでは? なんて想像してしまう。  もし、五百万入っていたら、なにに使うか?  妄想が止まらなくなった。明日には辞表を出す身だから、金銭的にも余裕が無くなる。今はなんとしても大金が必要だ。  電車の広告ポスターや、イケイケの女子高生の女の子たちよりも茶色い紙袋にいやでも視線が向いてしまう。  私は回りにブツを持っていきそうな人はいないか確認する。だがその筋の人らしい人間は見当たらない。  そうこうしてる内に電車が終電に着く。  旅行中らしき白人の男が荷物棚にある黒色のリュックを手に持つ。そして、それに続くように高校生の男の子がサッカーリュックを持ち上げ、肩にかける。  扉が開いた瞬間、電車に乗っていた人たちが一斉に降りだす。  私は最後まで席を立たずに紙袋を見つめていた。  そして、私以外、人はいなくなった。  ブツの受け取り人らしき人物がいないか確かめる為に私は最後まで席を立たなかった。  私はゆっくり立ち上がり、荷物棚の上にずっと置いてあった茶色い紙袋に手を伸ばそうとした。  「お客様!」  突然の人の声に胸が痛む。  駅員の若い男が私に言う。  「終電でございます!」  「あ、すいません!」  私は急いで紙袋を手に取り電車を降りる。  急いで走り、駅の外に出る。  回りを見渡す。  私を追いかける人間の姿はない。  私は駅前のコンビニの裏に身を隠す。胸の鼓動が高鳴る。もしかして私は本当にヤクザのブツを手に取ったのかもしれない。そうなると私は追われる身となるだろう。  もう……後戻りできない。もし、現金が入っていたら……海外に逃げよう。国外ならヤクザも追いかけてこないだろう。もう、覚悟はできている。  私は、息を切らしながらゆっくりと茶色い紙袋の中を開けた。  中を覗くと空のマックシェイクの容器と食べかけのポテトの残骸が数本入っていた。
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