手紙の行方

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手紙の行方

「やっば! 忘れたああ」 よりにもよって提出期限がすでに2日も過ぎていて、担任の安藤先生から何度も催促されている『進路調査票』。 帰宅してからカバンを漁ったが入っていなかった。 確か帰りのホームルームでちらちらみていた記憶がある。絶対になくしてはいないはず。自室の部屋の時計を見ればもう20時。 今さら学校は無理か。 仕方ない。 あたしはため息をついて、重い腰を上げた。 ** 「おまえまだ決めてなかったの? 高校」 隣の家の湊があきれた声でイヤな顔をした。 その手には白紙の進路調査票。 思わずあたしも声が出る。 「湊こそまだ提出してなかったの?」 「そういうこと言うと絶対貸さない方向で調整するけど」 「ごめんなさい湊さま、ごめんなさいコピーさせてください」 胸の前で両手をあわせてお願いし、あたしはあっさり湊に負けた。 だって親の署名入りで明日の朝には提出しないといけないので。 今日中に書いてしまわないとだめなのだ。 湊の家の家庭用プリンターで1枚コピーしてもらう。 それにしても湊が白紙で未提出だったことに驚いた。 「湊は高校決めてないの?」 「ん」 「なんで?」 「ぎりぎりまで粘ろうと思って」 「ふうん?」 てっきりとっくに出したと思ってた。 そっか、そんなこともわからないくらい久しぶりに話しているんだ、あたしたち。 中学3年の、同じクラスなのに。 ** 小学校から一緒の湊は、クラスでも大柄。でも優しいお隣の男の子。仲良しだった。 小学校は小規模で、一学年50人程度だから、小学校の生徒はみんな友達。名前で呼びあっている仲間。 男女の区別なく仲良くしていたけれど、中学に上がったときになんとなく離れてしまった。 ただお互いの制服がまぶしかったのかもしれないし照れていたのかもしれない。 中学校区は小学校区よりも範囲が広く、2つの小学校区の生徒達が同じ1つの中学校に入学する。 男女の間で、名前で呼びあう子と呼ばない子がでてきていた。入学してしばらくたった春の日のこと。 一緒のクラスになった男子にからかわれたのが、湊と離れたきっかけ。 『名前で呼んじゃってさ、おまえらつきあってんの?』 恥ずかしかった。 名前を呼んだだけ。それなのにからかわれてしまう。本当に恥ずかしかった。 そんなんじゃないから。友達だから。 周りの子達もなんとなく呼び捨てから名字呼びになっていた。 それはそれはぎこちなく。 だからあたしも同じように、名前で呼ぶのをやめてしまった。 でもいま。 久しぶりにしゃべったのに普通に当たり前のように『湊』って名前を呼べた。 ──よかった。 ** 「そういえばさあ、小学校の校庭のタイムカプセルおぼえてる?」 あたしがこくんと頷くのを見て、うんうん、と湊が首を縦に振った。 「今度いってみない?」 「不法侵入って言われない?」 「大丈夫だよ、だって俺、小学校卒業してないもん。ずっと在校生」 湊は冗談ぽく面白く話してくれる。 湊とほとんどしゃべらずに中学3年間を過ごしてしまったこと。 後悔している。 本当は謝らなくちゃいけないこともあったのに。 そう、それは小学校の校庭でのこと。卒業式前の、6年生のときのこと。 「じゃあさ、この進路調査票のお礼に小学校についていってあげるよ」 「やった、俺らでタイムカプセルあけてやろうぜ」 何でもないことのように、中学の3年間を飛び越えて湊があたしと話してくれている。 うれしい。 なんかうれしい。 こんな資格ないかもしれないけれど。 ** その翌日、進路調査票はしっかり提出できた。 安藤先生がほっとしたようにあたしの希望校を見てくれた。 「がんばろうな」 にかっと笑ってくれる。これはつまりつまり、狙っても大丈夫ってことなのかしら。 単純人間なので、それだけで安心した。 昨日まで、希望校が高望みで無理なんじゃないかと調査票を出し渋っていたことが嘘のようだ。 そうしてその日のそのあとで。 あたしは湊と小学校へ行ってみた。 まだ3年しか経っていないのに、ここにあたしたちの靴置き場もランドセルももうない。不思議な気持ちになる。 校庭の隅には池があって、その周りでよく走っていたことを思い出す。 そう、言わなくてはいけないことも。 「ね、湊。6年生の3月のこと。ごめんなさい。ひどいことして、ちゃんと謝ってもなくて」 「俺、卒業式でてないからさ」 「だから、ごめん。あの日、走っててぶつかって、池に落ちちゃったこと」 そうだ、湊はあの日、みんなで遊んでたあの日、池に落ちたのだ。 だから熱がでてしまって、結果、卒業式にでられなかった。 湊ひとりだけ。 「いいよってば。責めてるんじゃなくて。俺、卒業式にでなかったから、ずっとこの小学校の生徒だったんだよなあって感慨にふけってるだけ」 胸がずきりと痛む。 ごめん、ごめんなさい。 すぐに謝りに行くべきだった。 『熱があるからごめんね』 って湊のお母さんから言われて。結局、湊はその3日後の卒業式に出ることができなかった。 「だからさ、俺、ずっとここの生徒だって言い張れるんだ」 そのはにかんだような笑顔につい。 こっちまで笑顔になってしまった。不覚にも。 湊はそんなふうに言ってくれる。 おだやかな優しさをもらってる。 「ごめん、ありがと」 「いいって。あ、じゃあさ、教えてほしいんだけど」 いたずらを思いついたような目で湊があたしを見た。 「どこの高校受けるのか、教えてよ」 それを聞いてからでないと希望校も書けなかった、と湊はついでにさらりと白状した。 どういう意味だろうと考えて。ひとつの仮定があらわれる。 まさか。 あたしは顔を真っ赤にして進路調査票に書いた希望校を教えてあげた。 それを聞いた湊が思いっきり笑顔になって、やった、というようにガッツポーズをしてみせた。 「やった、これで希望校を書けるし」 悔いなし、という顔がまぶしい。 この笑顔に、久々に会えた。 うれしい。なんかうれしい。 あたしはドキドキしながら別のことを聞いてみる。 「タイムカプセル、開けてみる?」 「いいよ。ひっさしぶりのモノに会えるかもしれないし!」 あたし達は記憶を辿り、タイムカプセルを埋めたであろう場所に立っていた。 湊がしゃがみ込んで、持ってきたスコップを土に突きたて掘り始めた。 あたしは隣に座って湊の腕をみていた。 そんなに深くに埋めていないはず。 がしがしと土を掘っていく湊の腕。 大きくなったなあ。小さいころが懐かしい。 カツン スコップの先が、固い缶にあたったような音をたてた。 湊の手にもその衝撃が伝わったはず。 「あたったかも!?」 缶は多分だれかがもってきたお菓子の缶。掘った穴の土をよけて慎重にとりだしてみる。 あたし達は目を見合わせてどちらともなく頷いた。 「そっとだよ?」 「おうよ、まかせろ」 缶はビニル袋に包まれていて、直接汚れてはいなかった。 ビニル袋から缶を出し、湊がそおっと缶の蓋を開ける。 さらにビニル袋で中身が包まれている。そのビニル袋をまずはがしてみる。 「わ!ちゃんと生きてる、全部!」 「生きてるってなんだよ、でもちゃんとあの頃のまんまだよ、すげー」 興奮しておかしなことを口走る。お互いがおかしいからもうどうでもいい。 少々おかしくたって別に。久しぶりに目の前に現れた宝物にこころが踊る。 「自分の探していいかなあ?」 「俺も」 そうっとビニル袋の中をさばくって自分の宝物を探す。 あたしはきっと手紙。自分にあてた、手紙。 湊はえっと──。 「おおあった!」 湊の手にあったものはあたしと同じく手紙のようだった。 にこにこと笑って手紙をあけようとしている。 丁寧に、丁寧に。 「誰にあてたの? その手紙」 「ん? 好きな子」 あんまり無邪気な顔だったからあたしは何も言えなかった。 なんとなく唇をかんで下を向いてみる。 『好きな子』、だって。誰よ、それ。 胸の中に黒い雲がわいてくる。もやもやする。 眉をひそめていたと思う。そんな顔のあたしに向かって湊が手紙を差し出す。 「ほれ」 「ん?」 「読んで」 「あたし?」 「読んで」 重ねて言われ、ぐいぐいと手紙をあたしの両手に押しつけてくる。 降参してあたしは抵抗をやめた。 好きな人あてでしょ? あたしに渡してどうするの? たぶんあたしはさっきよりももっと難しい顔をしてる。 それに気づいてるのか気づいていないのか。 湊が明るい声をあげた。 「こんなの人に読んでもらうの久しぶりだよ」 あたしは半ばやけくそ気味にこたえる。 もう、全部どうでもよくなってくる。 「さようでございますか。じゃあ読むよ?」 読むよ、と言いながら先に目で文面を追う。 すぐに顔がますます赤くなるのを感じた。 ちらりと湊を見れば、にこにこと笑っている。 冗談でこういうどっきりをする人間じゃないことは、よーくわかっている。 お隣さんだもの。 久しぶりに喋ったとはいえ、ずっといっしょのお隣さんだもの。 「これ、あたしが読んでいいの?」 確認のため、もう一度今度は口に出してはっきり聞いてみる。 「もちろん。俺が読んでほしいんだってば」 力強く頷いてまっすぐ目を見つめられた。 あたしは心を決め、手紙を口に出して読み始める。 これから同じ高校をめざすこと。 この先一緒にがんばれそうなこと。 久しぶりにこんなふうに仲良くしゃべれてうれしいこと。 そんな気持ちをこめて、読み始める。 『こんにちは。おひさしぶりです。僕の好きな人へ。あなたは元気でいますか? 大人になりましたか? この手紙、読んでくれるとうれしいんです──』
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