曇った鏡

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 11月。舗装された道路の脇から入る狭い山道。人の行き来である程度ならされた斜面を、リュックを背負い手にプラスチックのバケツを持った私は、息切れしながら登っていく。階段として埋められた細めの丸太に足をかけるたび、バケツの中のタワシと杓子がたてる音が、癇に障る。最近、イライラする事が多い。一度、心療内科に検診に行ったほうが良いかもしれない。心を穏やかにする方法を模索しながらしばらく歩き続けていると、開けた場所に到着した。墓地だ。私の先祖の墓がある。  多くの墓があり、その中には新しいものが幾つか見受けられるが、古いながらも綺麗に手入れされたものが沢山ある。だが、ひび割れて忘れ去られているものや、汚れても放って置かれているものもある。私は我が家の墓の前で足を止めた。ここには私の父の骨が入っている。  1年ぶりに訪れた墓は汚れ、地面も枯葉や雑草で拝石が見えなくなっている。私は溜息を付きながら、リュックの中から軍手を取り出した。  しばらく掃除を続けると、巻石の中や周辺があらかた綺麗になった。集めた物をゴミ袋に入れて持ち、小型の焼却炉のある方へ向かっていると、年配の男性が歩いてきた。 「……、あ、みっちゃん?」 「山田さん、お久しぶりです」  父の同級生である山田さんは、巻いた新聞紙の入った手提げを持っていない右手を挙げて足を止め、ニコリと笑う。 「久しぶりだね。お父さんに会いに来たのかい?」 「はい。お盆もお彼岸もなかなか来れないから、せめて命日だけでもお参りに来ないと」  私が笑顔を作りながら話すと、山田さんは機嫌がよくなったのか、目のしわが細くなった。 「最近は来ない人も増えたのに、親孝行だね。ご先祖様も喜んでるよ。お母さんは元気かい?」 「足が悪くてなかなか墓参りには来れませんが、元気に過ごしています」 「そうかぁ。皆どこか悪くなってすぐに居なくなってしまうから、近いうちに会いたいな」 「母に伝えておきます」 「よろしく頼むよ……あ、まだ掃除が残っているかい?」 「はい」  しんみりとした表情だった山田さんだったが、ある程度会話して満足したのか、私が両手に山盛りのゴミを持っている事にやっと気が付いたようだ。 「邪魔したね。また暇ができたらゆっくり話そうね」 「はい」  嫌です。両親と仲の良い人はお断りです。と、心の中で返事を返す。  私はニコニコとした表情で山田さんを見送った後、顔を戻して焼却炉へ近づいた。側にあるゴミ置き場に枯葉や草を置いて、腰を伸ばしながら辺りを見回すと、近くに自生のコスモスが風に揺れている。私は何本か手折ると、水汲みの為にバケツを取りに戻った。  タワシで磨き終わり杓子で墓石に水をかけた私は、拝石の側にしゃがんでジッと前を睨んだ。あんなに曇っていたのに、ツルツルに磨かれた墓石は薄っすらと私の顔を映している。この墓石はまだ新しいほうなのだ。それが恨めしい。  私の父は人助けをしては笑顔になり、家族を不幸にする男だった。私が得るはずだった物が、金が、可能性が、誰かのものになったことは1度や2度ではない。その事に対して私が不満を口にすると途端に父は不機嫌になり、酒を飲んでは暴れ、次の日には忘れた。母は私に我慢を強いり、私が常に笑顔を張り付けるようになる頃には、我慢させるようにしたことを忘れた。  父が死んだ後、私は骨をボロボロの先祖の墓に入れるつもりだった。両親のせいで結婚願望のない私は、墓じまいをするだろうから。だが母はそんな私の気持ちを聞こうともせず、勝手に新しい墓に建て替えた。この時、母は気づかずに私を捨てたと思った。未だ自分の物だと思っている癖に、捨てたのだ。  母が足を悪くした時、私は心苦しく思うことなく、彼女を施設に入れた。今度は私が母を捨てたのだ。  墓に映る自分は、はっきりとせず影のようだが、きっと鬼のような顔だろう。暴れた父のようなのか、苦しいと嘆く母のようなのか、関係ない。彼らの子である私は、油断すれば同じになる。だから私には自分を顧みる事が必要なのだ。この墓はその為の道具、普段は思い出さないようにしている両親を思い出す為の鏡なのだ。  しばらく墓石を睨んだ後、日常へ戻る覚悟を決めた私は、善人の仮面を被りなおした。そして足元に置いたコスモスを花立に挿した。花立の中でコスモスは、風に揺れていた。
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