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あの夜のことは今でも鮮明に思い出せる。
塾帰りの俺が一級河川『伊佐津川』の近くを歩いていると、誰かが争うような声が聞こえてきた。
喧嘩でもしているのだろうか、と身構えながら近寄っていくと、真っ黒な服装に身を包んだ男が見える。その男の手には、月明かりを反射する何か。
俺は即座にそれがナイフであると理解する。
そして男はナイフを誰かに向けていた。明らかに事件。異常事態である。
高校生である俺に何かできるはずもなく、それでも何かしなければと焦り、携帯電話を手に取った。
まずは大声をあげて、すぐに警察に電話をする。幸い警察署はそれほど離れていないし、男とはそれなりに距離があった。男が俺の声に気づいて襲ってきても、本気を出して逃げれば追い付かれないだろう。
ある程度の算段を持って口を開こうとした瞬間、男が襲っている相手の顔が見えた。
「浅井……」
知り合いなんかじゃない。浅井は俺のクラスメイトだ。
そして俺を理由もなく殴り、蹴り、タバコの火を鎖骨に押し付け、辱め、嘲笑い、優越感に浸っている男である。それによって浅井は、自分が他人を好き勝手にできる立場なのだと周りに見せつけていた。
高校生活の中で自らの地位を築くために俺を利用している。
いつか殺してやりたいと思い続けている相手だった。
俺は浅井に気づくと同時に、携帯電話をポケットの中に戻す。
アイツがどうなろうとどうでもいい。助ける必要なんてない。俺は無言のままその場を立ち去ろうとした。
その時、俺の足音が響いたのか、男は「誰だ!」と叫ぶ。それでも俺は無視をして逃げ去った。
浅井の遺体が発見されたのは、翌朝のことだったと覚えている。
復讐を遂げた、という達成感を得られると思っていた。けれど俺の心に残ったのは、逃げ出したいほどの罪悪感である。
見殺しとはよく言ったもので、まるで自分が浅井を殺したかのように重圧を感じて押し潰されそうだった。
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