偽称の仮面

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偽称の仮面

〜2.偽称の仮面〜  正面から城へと入り直したアズロは、大広間へと続く広く長い廊下を歩いていた。  一階部分の天井は高く、特に大広間へと続くこの廊下の眺めは圧巻だ。  磨き上げられた大理石が敷き詰められた床、床と同系色の石を使って太く頑丈に立てられた柱の数々。  柱は天井と同化しアーチを描き、連なるアーチの群れは、見るものの目を奪う。  高い窓から廊下へ差し込む光は淡く薄く、廊下の中央に敷かれたワインレッドの絨毯を柔らかな色に染め上げている。 「はぁ……久しぶりに正面から来ると、圧巻だねぇ……」  小さく、アズロが感嘆の息をもらした時、背中のほうから声がかかった。 「アズロ師団長! ご帰還なされたのですか! 仰って下さればセレネまで迎えの者を送りましたのに……」  若い声だった。  よく通り、真っ直ぐなその声は、一人の人物を想定させる。  アズロがゆっくりと振り返ると、そこには、最近では見慣れた顔があった。 「やあ、イシオス。元気だったかい?」  イシオスというその青年は、アズロが任されている特務師団の部隊長だった。  真っ直ぐで公平な性格で、軍上層部には敬遠されているが、逆に部下たちには慕われている。  最近軍に組み込まれたくせに、あの手この手で早々と師団長までのし上がったいけ好かない奴──それがアズロに対しての軍議会の見解であったが、そういう噂を知ってなお、イシオスはアズロを慕っていた。  もちろん、アズロが軍に組み込まれた時期も、師団長の座に上りつめた数々の功績も、そして年齢すら、全ては王──ジェイと共謀し、偽称しさらに偽証した、まったくの嘘なのだが、それを知るものは王と数少ないセレスの要人しかいない。  アズロは、様々な形でセレス軍の陰となって動いていた。  姿を見せ、一定の時間が経つと姿をくらまし。  また別の人物として、軍に姿を現す。  その頃には以前少年の姿だったアズロ本人は成長した姿になっているはずだということで、誰も少年の姿を保ったアズロを疑うものはいなかった。  アズロ自身、少しでも疑われそうな時は「あいつの親類だ」「兄弟だ」「子供だ」または「他人の空似だよ」などと言い逃れをしていたので、「セレスのそっくりさん特集」などと街の新聞に面白おかしく取り上げられることもあったが、偽証によれば現在数多くいるはずのアズロの親類たちに個々に取材しようにも、それぞれが他国に旅に出たか、亡くなってしまったということで、それは叶わなかったようだ。  まあ、全てアズロ本人なのだから、探そうにも本人一人しかいないので無駄骨になってしまうのだが、アズロはそういう話題を振られるたびに、これまた様々な演技をしていた。  早くに父が亡くなってしまって、けれど、昔の父の勇士と似ていると言われる今の自分の姿を誇りに思う…とか、親類のあいつは旅好きで困りもので、とうとう軍もクビになって遠くへいって清々している。これで似ているからといって悪口を言われない!……とか。  時折、王にまで「役者になれ」などと言われてからかわれるほどに、ある意味では、「アズロの一族」は有名だった。  アズロはちらりと天井を眺め、ふと考える。今もある意味では、演技をしていることになるのだが……  さすがに、イシオスのような素直な者を騙すのは、少々気が引けていた。  イシオスはそんなアズロに気付いてか否か、再び声をかけてきた。 「師団長、今回はセレネに長いこと滞在してお疲れでしょう、どうです? 報告が終わったら、私の家にいらっしゃいませんか? 妻も私も、アズロ様でしたら喜んでおもてなししますよ。今日は私もこれから非番ですし、市場でよさそうな食材を見繕っていきましょう! アズロ様も、市場はお好きでしたよね?」  アズロは思わず吹き出してしまう。  ここまで、アズロを敬遠しない人物も珍しい。  けれど、周りの白い視線に気付き、あわてて声のトーンを落として人差し指を口の前に立てた。 「ええと、イシオス、その……あー……なんというか、ここで大声でそれを言わないで。申し出は本当に嬉しいけど、君以外の部隊長が聞いたら、君が睨まれることになる。今日は聞かれちゃったから、また日を改めて、内緒で訪れさせてもらうよ」  不服なのか、イシオスはしぶしぶ頷くと、それからアズロの目を見据えて小声で言った。 「もったいない……私は、どうして他の部隊の者や上層部が貴方を避けるのかが解りません。あなたはセレスきっての氷の能力者ですのに、それを鼻にもかけず……それだけでも珍しいというのに、加えて、私ども部下への細かい配慮も欠かさない。私の部隊のものは、皆あなたを慕っていますよ。ああいう指揮官になりたいと……」  イシオスは、アズロから見たら不器用な男だ。  現に今も、感情が素直に外へ出てしまっており、不満を抑えきれないのか、周囲を睨んでいる。  その不器用さは、時としてアズロを励ますのだが、本人は気付いていないらしく、逆に失礼な態度をとってしまったと常々反省しているらしい。  書類上は年はさほど変わらない、けれど実際は親子以上に年が離れたイシオスを目を細めて眺めながら、アズロは口を開いた。  先ほどと変わらず、声量は極めて小さい。 「君の部隊が私に好感を持ってくれているとしたら、それは君の影響が大きいと思うよ。それに、君の部隊の雰囲気がよく、規律も行動も纏まっているのも、ひとえに君の統率力の賜物さ。上に立つものが私だからじゃなくて、君が私の部下でいてくれるから、私自身も君の部隊にあまり敬遠されなくて済んでるんだ。……いつも感謝しているんだよ。君みたいに、君の部隊の皆みたいに思ってくれる人は少ないからね。……上層部は、私の存在が目の毒なのさ。異例な早さで昇進を重ねたのも、あの手この手でこの地位を獲たのも事実だしね、次は自分の椅子が狙われるんじゃないかって脅えもあるんだろう。……まぁ、私自身には出世したい気持ちなんてないし、上にいけばいくほど面倒くさくなるだけだ。非番の日に、大好きな市場めぐりに出かけられなくなったら嫌だしね。いつも供の者がつく身分になんて、なりたくもない」  イシオスは言葉を聞きながら小さく笑うと、アズロに背を向けて歩き始めた。  アズロにしか聞こえないほどの声で一言だけ言うと、そのまま外の兵舎へと戻っていく。 「──貴方は本当に、もったいないお方です。では、今度こそ我が家でもてなさせて頂きますから、覚悟していてくださいね」  アズロは去りゆく大きな背を眺めながら、イシオス本人にも、周囲にも気付かれないよう礼を送った。  少しの間静かに目を閉じ、そして開ける。  目を閉じている間は、感謝したい者の姿を頭に浮かべる。  心の中でだけ響く、相手への、ありがとうという言葉。  それが、今のアズロにできる、アズロなりの、精一杯の礼だった。
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