5人が本棚に入れています
本棚に追加
夫婦とは不思議なものだ。全くの他人が家族となり、数十年を一緒に過ごす。まあ、そうでない場合もあるが。次第にお互いのことがわかるようになり、他人であったことを忘れていく。私は、夫婦とはそういうものだと思っていた。ところが、どうやらそれは間違っていたようだ。今書いているこの話を、誰かが読むことはないかもしれない。だがそれでもいい。私は、わたしと妻のことをここに書き記しておこうと思う。
私が妻の彩世と出会ったのは33年前のことだった。彩世は、私が働いていた会社の受付嬢だった。優しく微笑む彩世はどこか儚げで、私は一変で参ってしまった。自分の方からアプローチして交際を始め、2年後に結婚した。彩世は少し病弱で、子供には恵まれなかったが、幸せだった。ところが、出会って5年ほど経って私は不思議に思い始めた。彩世の人間関係が全く見えてこないのだ。よくよく考えてみると私は彼女の両親にもあったことがなかった。彩世からは仕事で中東に言っていると聞いている。それだけではない。彩世には連絡を取っているような友人が一人も現れないのだ。本人は引っ越しが多かったと言っていたが・・・・・・。私は彩世の周りの人間を誰一人知らない。
何か気になりだすと次々に気になることが浮かんでくるものである。次に私は、日によって彩世の声が違っていると感じ始めた。気のせいだと思われるかもしれない。だがわたしには気のせいだとは思えないのだ。最近、更におかしなことに気付いた。それは、
「あなた、何を書いているの」
急に声をかけられた。
「いつからここに・・・・・・。」
「私のことを書いているのね」
妻は、私を見下ろしたまま静かに微笑んでいる。なんとも背筋が寒くなるような笑いだ。喉がヒクリと震える。
「おまえは、人間なのか」
「何を当たり前のことを。急にどうしたんです」
妻が私の手首を掴んだ。冷たい。触れられたところから凍りそうな冷たさだ。
「ヒッ・・・・・・」
「どうしたんです?化け物でも見たような顔して。私、人間です。どうして分かって下さらないの」
彩世の青白い手がゆっくりと心臓の方へ伸びてくる。殺される・・・・・・。
「あなた。起きてください・・・・・・。ほら、こんなとこで寝て。風引くじゃないの」
妻の温かい手が私の肩を揺さぶる。
「ん。ああ、寝てたのか」
のろのろと机から頭を上げる。
「根の詰め過ぎはだめですよ」
妻がそう言い残して部屋を出ていく。机の端に一杯のコーヒーが湯気を立てている。あれは全て夢だったか。思わず大きく息をついた。やけにリアルだった。あんな物を書いていたからだろうか。私は、さっきまで枕にしていたノートに目を落とした。思わず息を呑む。私はしばらく、何も書かれていない白いページを眺めていた。
最初のコメントを投稿しよう!