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私が月奈と結婚したのは30年ほど前、月奈とは大学で出会って交際が始まった。
月奈と私は同じ学年で、月奈は文学部、私は理工学部で学部は違ったけれど、私はテニス同好会で月奈と出会った。
月奈はとても明るくて元気な女性で、私は月奈と一緒にいると、とても楽しくて幸せな時間を過ごすことができると感じていた。
大学3年生の時に、私は思い切って月奈に告白して付き合うようになり、大学を卒業してからも付き合いは続いていた。
月奈は旅行会社、私は自動車製造会社に勤めていて、私たちは会社の仕事が終わってから待ち合わせて飲みに行ったり、休みの日にテーマパークに遊びに行ったりして楽しんでいた。
そしてお互いに26歳になった時に、私は月奈にプロポーズをして結婚した。
結婚してからも月奈は仕事を続けていたけれど、1年を過ぎた頃に妊娠したことが分かって月奈は産休を取得した。
産休に入った月奈は、ゆったりとした生活を送っていたけれど、翌月出産となった頃、月奈と私に思いもかけない事実が発覚した。
それは産婦人科で精密検査をした結果、医師から月奈は乳がんであると診断を受けたのである。
翌月出産を控えている月奈は堕胎することは母子ともにリスクが高くてできず、だからといって抗がん剤の投与は分娩のリスクが高まるとされるため、治療は断念せざるおえない状況だった。
翌月、赤ん坊を無事出産してから月奈の闘病生活が始まった。
妊娠中に乳がんの治療ができなかった月奈は、がんが肺へも転移していて治療が難しい状況に陥っていた。
この時の月奈は、医師から余命1年と宣告されていて、治療と言うより延命処置を施すような状態になっていた。
月奈の強い要望により一旦退院して、産まれたばかりの彩帆と一緒に自宅で生活していた。
この頃の月奈は、人生最後の時間を彩帆と一緒に楽しんでいるようで彩帆を抱いた月奈は、とても幸せそうな表情をしていた。
自宅で生活を始めて8ヶ月を過ぎた頃、月奈の病状が悪化して、再度入院することになった。
私はできるだけ彩帆と一緒に月奈の病室に面会に行っていた。
そしてとうとう月奈の最後の日がおとずれた。
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