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閉店後。相談の場は麗都の知人の経営するダイニングバーに移された。 その店は、Y’stからタクシーで5分ほど走った場所にある。会員制の上、完全予約制。表には看板も出してはおらず、飲食店らしい外観でもない為、会員である客と一緒に来なければ辿り着くのは難しい。煩い一見客がシャットアウトされるという性質上、客層としては芸能人や各界の著名人が多い店だ。和久田もその店の存在は知人伝てに知ってはいたものの、これまで機会に恵まれず、実際に入るのは初めてだった。 一見、モダンな三階建ての一軒家のようでいて、窓が少ない。しかもその窓にも加工がなされており、明かりの一筋すら漏れないようになっている。出入り口のセキュリティは会員カードと指紋認証の二重になっており、飲食店としてはかなり堅固。ダイニングバーというより、ちょっとした要塞のようだと和久田は思った。 入り口ドアを入ると、黒いユニフォームを着た若い男性店員が丁寧な礼をして出迎えてくれた。何度も利用している麗都はさほど珍しくもない様子で店員の後に着いて歩いていたが、初めての和久田はそれとなく視線を動かして店内を観察。フローリングの廊下にダークグレーの壁。しかし通された部屋は壁がベンガラカラーになり、床がダークグレーになっていた。それらがデザイン性の高い北欧風の照明器具の明かりに浮き上がり、所々に置かれたインテリアとも相まって瀟洒な印象を与える。 アンティークなオーバル型の木製テーブルにチェアは4脚。麗都と和久田は、その奥側の席に腰を下ろした。 ドリンクとフードをオーダーし、それがあらかた出揃うのを待ち、店員が引き揚げるのを待ってから、麗都は話を切り出した。 「料金はいくらかかっても構いません。出来る限り詳細に調べ上げて欲しいんです」 その言葉に和久田は少し目を見開いた。確かに麗都ほどになれば金に糸目を付けて値切るなどとセコい真似はするまいと思っていたから、そこに驚いたのではない。こんな男にそこまでして知りたいと思う事があるという事が、ただ意外だったのだ。 あのうだつの上がらないテンマというホストにそんな価値が?と訝しんでしまう しかし口にはしない。和久田の仕事はただ、依頼に従って調査をするだけだ。だから驚きにはすぐ蓋をして、こくりと頷いた。 「わかりました。そういう事でしたら…」 和久田は持っていたビジネスバッグからタブレットを取り出し、時間と料金の説明を始めた。麗都の希望が24時間体制でという事なので、交代制で人員も必要になる。和久田の探偵社の調査員が12名。他に同時進行で抱えている案件を考えると、回すのはギリギリだ。 しかしこんな羽振りの良い案件は最近なかなか無いのだから、そんな事くらいで受けない理由にはならないと思えた。 (昨日今日で終了した4人をそのまま回すとして…まあ俺がメインで動けば…) ざっと電卓を弾いただけでも数百万。和久田の事務所は成功報酬制を謳ってはいないから、万が一結果に結びつかなくても一部返金などは無い。まあ、その分調査員と仕事の質には自信があるのだが。 「取り敢えず、まずお1人分の調査費を出しましたが…24時間密着だとお1人でもこれだけ高額になりますが、本当によろしいですか?」 交代制で24時間の張り込みを1週間。その数字が表示された電卓を見せ、再度意向確認をする和久田。普通なら目の玉が飛び出てしまいそうなその金額を見ても、麗都は平然と頷いた。 「構いません。なんなら今、その金額の2人分を前金で払います。追加料金が発生するようなら別途請求してください」 そう言ってジャケットの内ポケットからカードケースを取り出し、黒いカードを抜いて差し出して来る麗都に、慌てた和久田は小さく左手を振った。 「あ、はい。そう仰っていただけると助かりますが…ただ、ウチは全額前払いは無く、最初に全体の3割を着手金としていただいてます。残りは調査終了後という事で…」 「そうなんですか」 肩透かしを食らったようにキョトンとする麗都。まあ、そういう反応になるよなと和久田は苦笑いした。探偵事務所や興信所なんて、よほどの事情がなければ接点を持つ事ない職種の実情を知っている方が珍しい。 「取り敢えず、テンマ君には明日の閉店後から張り付かせます。そこから開始となります、よろしいですか?」 「結構です」 「では、着手金として…」 麗都から了承を得たので、和久田はまた電卓で出した金額を告げ、麗都はその場でオンライン決済にてそれを支払った。和久田は自分のスマホで入金を確認し、頭の中で調査員のシフトとプランを練った。 「ところで、テンマ君はそれとして。もう1人の対象者の方というのは…」 その問いに麗都の両の口角が上がり、和久田は思わずドキリとした。仄暗い中、淡い灯りに照らされた美麗な顔。本当に美しい人間には男女の別は無いなと思わされる。麗都の客の大半は、彼と同じ空気を吸えるだけでその場に価値が生まれると考えていると噂で聞いた。だからこそ、ほんの数分卓に着くだけで数十、数百、時には彼の流し目や微笑みひとつで数千万を超える伝票を顔色も変えずに支払うのだと。おそらくそれは事実なのだろう。だとしたら、自分は今、とんでもなく贅沢な状況という事になるのか、と和久田は思った。 話はもう1人の対象である祈里の事に移り、麗都は和牛のタタキをつまみながら、自分が知れた限りの祈里の情報を全て和久田に話した。勿論、祈里がテンマに金を渡していた事も含め。それを和久田は、時折タブレットに何かを打ち込みながら聞いていたが、その表情が段々と曇っていき、ついには言いづらそうに口を開いた。 「あーのー、正直な感想、良いですかね?」 麗都が頷くと、和久田は一度息を吐いてから話し始める。 「俺も聞き齧りでしかないんですけど…多分なんですがその祈里君て子、テンマ君の"育て"なんて事はないですかね?」 「育て?」 「いやまあ、そこんとこは麗都さんの方がお詳しいと思うんですが…」 和久田の言葉に、麗都はふむ、と行儀悪く腕を組んで考えた。 " 育て"とは、最初からホスト目当てに店に来た客ではなく、ナンパやネットなど、店以外の場所で出会った女と親しくなった上で、店に客として呼ぶ事を言う、筈だが…。 「でも彼、店には呼ばれてないらしいですよ。マネージャーや他の内勤にも聞いてみましたけど、テンマに若い男性の1人客なんか来ないぞって首を捻ってましたから」 首を傾げながら麗都が言うと、和久田は顎下を指で撫でながら目を伏せた。 「そうですか。じゃあ、最初から裏引き用として育てたって事ですかねぇ。…いや、すいません、単なる憶測です」 「いえ…」 麗都は和久田の憶測に驚きはしなかった。ただ、やはり客観的にそんな風に思えるだろうなと複雑な気持ちになっただけだった。
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