1/1
前へ
/46ページ
次へ

男の言葉に、混乱していた祈里の思考が停止した。 「…ほんとの、恋人?」 ぽかんと間の抜けた表情で男…麗都を見つめてしまう。 (この人、急に何言ってんだろ?) 今日言われた事の中でも最大限に意味がわからない。 「どうしてあなたが…?僕は天馬と…」 「付き合ってる?本当に?こんな事させられてるのに?」 覇気の無い抗議は迷いがあるからだ。麗都はそれを見抜いているのか鋭く疑問形で返してきた。祈里はそれに、以前の天馬との会話を思い出しながら答える。 「それは…それは、仕方なくて…。僕は天馬の恋人だから、だから支えなきゃいけなくて…」 「へえ。そう言われたんだ?恋人だから支えてって」 「…」 図星をさされて黙った祈里に、麗都はまたふっと笑った。 「あのね。そんなのホストの常套句だよ。…まあでも、俺に言わせればそれを使うのは二流以下だけど」 「二流以下?」 それはまたどういう事か。小首を傾げる祈里の手を取って、甲にキスをしながら麗都は答える。 「価値のある一流の男なら、いちいち支えてなんて言わなくても客の方から金を差し出して来る。 巧言を弄して金を引っ張るのは二流以下って事。詐欺師じゃあるまいし」 「詐欺師…」 「別に悪いとは言わないよ。夜の店なんて売り上げ上げてなんぼの世界だし、それも1つの手段だ。他人の稼ぎ方を否定はしないよ。商売上ならそれはそれで良い。でもね、俺なら、」 麗都はそこまで言って、一呼吸置いてからまた続けた。 「恋人だと思ってる相手に体売って金作れなんて、絶対に言わない」 「……」 麗都の言っている事は筋が通っていて、否定の言葉が返せない。思い起こせば、天馬の言葉はいつだって薄っぺらく、動向も怪しかった。だから一度は見切りをつけようとした筈なのに、恋人だの愛してるだのと言われた事が嬉しくて、まんまと転がされるのを選んでしまったのは祈里自身だ。だから、仕事を始めてから少し変わった天馬の態度に疑問を持っても、気づかないフリをした。騙されたとは思いたくなかった。天馬の助けになっていると信じていたかった。そう思っていなければ、耐えられなくて。 「…そっか、やっぱ、そうだよね…」 そう言いながら俯いてしまった小さな頭のつむじに、麗都はキスをした。腕の中の華奢な体は細かく震えている。祈里の心がズタズタに傷ついて、しおしおに萎んでいくのが伝わって来るようだった。 麗都が祈里を初めて見たのは1ヶ月ほど前だ。 店の近くで待っていた客と同伴で入り、その卓をヘルプに任せて、すぐにまた店を出た。5分後に到着予定の客と店前同伴(※近所どころかダイレクトに店前に待たせた客と同伴で店に入る事)為だ。 既に時刻は23時過ぎ。だが麗都の場合、そのくらいに出勤して、勤務時間一時間、なんて事はザラにある。そして、店側もそれを黙認している。何故なら、彼はたとえ出勤時間が10分だけだったとしても、その10分の間に数人の客にカードを切らせる事が出来るからだ。しかも、麗都の客卓からは、滞在時間がほんの数秒だとしてもクレームは出ない。その上、麗都の指名客は数が多いだけでなく、他のホストから見ればエース級(※本指名の中でもトップの売り上げを誇る超太客)と呼べるような客が何人も居た。ゆえに店側としては、そんな彼に出勤時間でどうこう言って移籍されるより、黙認してグループ一の売り上げを上げてもらう方が良いのだ。 …とまあ、そんな少し特殊な勤務形態で働く麗都だが、 1日4、5人と店前同伴なんてのはごく当たり前の事だった。 店の入り口を数歩出て客を出迎えて、店の中に戻るだけの単純作業。いつもと同じ手順で済む筈だった。だがその日は、店の入り口に着いた途端に客から『数分遅れる』と連絡が入った。タクシーで近くまでは来ているものの、近くで飲酒検問が始まっているとの事。引っかかる事は無いが、手前で車の進みが悪くなっているから数分遅れる…と。 (ま、それなら少し待つか…) 客卓に戻って客の相手をするのも、戻った途端に同伴客が到着して二度手間になるのも面倒だ。麗都は店の中には戻らずに、表で待つ事にした。 とはいえ、真夏。夜とはいえほぼ無風。けれど、家に籠る時間の長い麗都にとって、繁華街の店々や通行人達の織り成す喧騒はそれだけで十分心地良いもので。実は他に本業を持っている麗都にとって、この仕事は外に出る為の息抜きでもあった。 胸ポケットからフリスクのケースを出し、タブレットを手に出して口に放り込む。 周囲から絡み付いてくる視線など気に留める事も無く、粒を噛み砕いた。甘さと清涼感が口内から鼻腔を抜けていった、その時。 横を、誰かが急ぎ足で駆け抜けた。その人影を目で追ったのは、殆ど反射だった。 ショートの黒髪を靡かせた後ろ姿。少年とも青年ともつかないその姿は、薄暗い路地へと吸い込まれて行く。そこが自分の勤める店の裏口にも繋がる路地だと気づいた麗都は、思わず彼の跡を追った。と言っても、ほんの数歩の距離だったのだが。 やはり店に用があるのか、彼は裏口の前に立ち、何かを待っているようにスマホとドアを交互に見ている。 (…ホスト志願者?こんな時間に面接?業者には見えないな。…まさか未成年?) 麗都はまじまじと彼を観察した。シンプルな白いTシャツとジーンズは、この辺りの夜にはあまりにも不釣り合いだ。だが、防犯灯に照らされて浮き上がった横顔は思いの外整っていて、麗都は自分の最初の推測があながち的外れでもないようにも思えた。だがその体が頼りないほどに細く華奢なのに気づくと、男を売る商売をするには些か頼りないとも感じた。 数分後。裏口のドアが開き、男がひとり出て来た。途端に青年の顔に笑顔が浮かぶ。 (…あれは…) 出てきた男の顔には見覚えがある。 「確か、…テンマ?」 それはヘルプでよく回ってくるキャスト。店での成績は鳴かず飛ばずだが、それ以外にもあまり良い噂の無いキャスト。そんな男に、夜の街とは無縁そうなあの青年が何の用なのだろうか。店ではなく裏口で会うという事は、関係者…友人? 関係性がわからずにじっと見ていた麗都の視線の先で、テンマは青年にキスをした。
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!

878人が本棚に入れています
本棚に追加