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その夜、和久田は23時40分頃に来店した。 通常ならラストオーダーの時間を過ぎての来店という事になるが、麗都が呼んだ指名客となれば、たとえ閉店5分前であろうと入れるようになっているのがY’stだった。それに和久田が来たのは、電話を切った後に麗都が和久田にLIMEで指定した時間だ。最初に同伴した客や来店していた客を送り出すのがそのくらいの時間なので、入れ替わりで入ってもらえれば4、5卓被った状態より落ち着いて話が出来ると考えたのだ。そして実際に、和久田の来店時には麗都の受け持ちテーブルは和久田の席を含めても3卓のみになっていた。麗都の客は、客単価は非常に高い割りには店への滞在時間は15~20分ほどと短く、その分回転も早い。連絡無しで飛び込みで来る客も少なく、よほどのアクシデントが無い限りは客数や売り上げをコントロールする事が容易だ。 とはいえ、いくら入店当初規格外新人なんて言われた麗都でも、最初からそんなに管理し易い客ばかりだった訳ではない。麗都が新人で入店した時、その容姿目当てに来た客は、有象無象含め数多く居た。それらをふるいにかけた末、そんな上客が残った、または客の方が麗都のランクに合わせて上客になってくれた…というところだ。 麗都の営業スタイルは、色恋でもオラ営でもなく、本人的には友営のつもりだ。しかし普通に考えて、女が単なる友人とほんの数十分飲む程度で百万円前後の金を出すとは考えにくいのだが、麗都にはその辺りはどうでも良い事だった。そもそも麗都にとって、ホストという仕事は刺激を得る為のものでしかない。なのでさほど売り上げは重視しておらず、金は出しても面倒なメンヘラだったり、少しでも痛客の素振りを見せた客は、問答無用で客リストからはじかれた。その為、"麗都の指名客"で居たい者や、"NO.1の指名客"である事をステイタスだと思っている層は、麗都にとって都合の良い客になるしかなかったのだ。それが、今の麗都の顧客状況である。 そんな訳で今夜も、客はほぼ麗都の調整した通りに動き、和久田も定刻通りに来た。それに、和久田をその時間に呼んでおけば、閉店後に場所を変えて話も出来る。同伴はしてもアフターはせず、最後の客を見送ったらさっさと帰る麗都だが、今回は仕事を依頼する側なので例外だ。 「麗都さん、8番にご指名です」 普段よりは落ち着いている店内。そろそろの筈だけど、と思いながら客とシャンパンを傾けていると、内勤スタッフが呼びに来た。それに麗都は頷き、横に居る客に「少し待ってて」と言い残してから席を立った。移動する為に通路を歩く度、あちこちの卓から視線が集まる。たとえお気にのホストが傍に座っていても自然と目を吸い寄せられてしまう麗都の美しさは、やはり群を抜いている。 告げられた卓の前に着くと、そこには和久田が座り、スタッフに渡されたおしぼりで手を拭いていた。彼は麗都に気づくと、薄く微笑みを浮かべて会釈をした。 「どうも」 「すいません、急にお呼びだてして」 麗都はそう言いながらソファに腰を下ろす。和久田の前には、先にヘルプに着いてくれていたキャストが作ったブランデーの水割りがあった。麗都が席に着いたのを見ると、キャストはやたらと華美な飾りボトルに入ったミネラルウォーターをグラスに注ぎ、それを麗都の前に置いた。麗都は煙草も喫わないし、酒もそうは飲まないからだ。麗都は和久田と乾杯をして、グラスに少し口を付けてからテーブルに置き直し、ヘルプのキャストに『ここはもう良い』と言って席から外した。フロアには絶え間なくBGMが流れていて賑やかなので、 声量を抑えて話せば隣の席に話し声が聞かれる事は無い。しかし同じテーブルに居るなら話は別だ。口止めに意味があるとも思えないから、最初から人払いする方が良い。 キャストが去るのを見届けると、麗都はぐるりと店内を見渡して、テンマを探した。テンマの姿は和久田の卓から見て通路を挟んだ斜め前の卓にあり、それを見つけた麗都は素早く和久田に耳打ちした。 「あの3番に居る赤シャツのキンパ、知ってますよね?」 「3番…ああ、えーっと、テンマ君でしたっけ」 「そうです」 「何度かヘルプで来てもらった事ありますよ。…彼ですか?」 「はい」 和久田はふむ、と頷いて、そのまま数秒テンマを凝視してから麗都に視線を戻した。 「対象の1人はテンマ君。で、もう1人も此処に?」 和久田の問いに、麗都は首を振る。 「いえ、もう1人はここには居ません。それについては後ほど店を出てからお話しますので、まずはテンマの顔や特徴を覚えてほしくて」 「なるほどですね、了解です」 和久田は頷いて、さり気なく右手で髪を直す仕草をした。 「…少し暗めですが何枚か撮れました。他のスタッフ用の資料に載せる為に後で明度調整するんで本人確認には十分でしょう」 「えっ、撮れた?」 スマホすら手に持ってなかったのにどうやって、と訝しげな顔をした麗都に、和久田はスッと右手首を翳してみせた。だがそこにはスクエア型の時計しか無く、麗都は余計に眉を顰めた…が、ふと閃いた。 「…まさかその時計、カメラですか?」 「ご明察」 和久田はニヤリと笑い、唇の端を吊り上げる。なるほど、プロにはプロとしての所以があるものだ。 麗都はただただ感心して、和久田の仕事ぶりに期待を持った。
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