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「しかし、今聞いたお話だと、少々変わってきますねぇ…」 和久田は指を顎に当てて撫でながら少し考えたが、すぐに続けた。 「閉店後からでは1日無駄になってしまうかもしれません。張り込み開始時間を早めましょう。念の為22時から、店の裏口に一人配置します」 「22時からですか?テンマは店の中だと思いますが」 「しかし麗都さんがテンマ君に会いに来た祈里君を目撃した時も、営業中だったんですよね?」 「はい」 「宇高さんと麗都さんの推測が当たっているとしたら、祈里君は毎回、帰る前にその日のアガリをテンマ君に渡しに来ている可能性があるという事ですよね。テンマ君もそれを承知していて、さり気なく仕事を抜け出しているんじゃないでしょうか」 推測を述べる和久田に、麗都は頷いた。 「俺もそう思います」 「まあ、これも仮定の話ではありますが…祈里君の仕事開始時間は夕方17~18時頃だって話でしたよね。とすると、23時前後には仕事を切り上げるようにしてると思うんですよ。売り上げ全部吸い上げられてるとするなら、タクは使わず電車で帰りたいんじゃないかなあ。遅くとも終電には間に合わせたいと考えるんじゃないですかね」 「なるほど…」 言われてみれば納得出来る。祈里は金に困っている訳ではないだろうという話だったが、とはいえ有り余るほど使える金がある訳ではないだろう。そうでなければ、体で稼ごうとは思わない。ウリでいくら金を得ていようと自分の懐に入る訳ではないのなら、祈里自身の経済観念が変化しているとは考えにくい。余計な出費は避けたいと思う筈だ…と、和久田は推測しているのだろう。 「なんにせよ、その辺は張り付いてみればハッキリするでしょう」 「そうですね。あ、あと」 「なんでしょう?」 「祈里君の事については、追加で調べてもらいたい事が」 麗都が言うと、和久田はタブレットに打ち込む手を止めてニヤリと笑う。 「お任せ下さい、きっちり調べ上げて差し上げますよ」 今まで見たのとは違う笑い方と、余裕綽々の返答。麗都は、対象を追う和久田の執念には協力者として触れており、探偵として優秀なのは知っている。だから、和久田のそれ自信に裏打ちされたものなのだろうと期待感を大きくした。 麗都のもとに最初の大きな成果が齎されたのは、そのたった2日後だった。 その日、スマホの着信音が鳴ったのは昼の14時過ぎ。その時麗都は、つい1時間前に起きたばかりで、軽くシャワーを浴び、クラッカーを数枚齧ってから作業用PCの前に座ったところだった。 着信の主は和久田。これぞという情報が掴めたら逐一報告して欲しいと言ったのは麗都自身なのですぐに電話を取った。 和久田の報告は、テンマと祈里の関係性について。リーク元は少し前までテンマに指名されていた風俗嬢、リコちゃんという女性らしい。 和久田探偵事務所の精鋭調査員は、調査開始初日にはテンマの女性関係をあらかた調べ上げた。リコちゃんはそこで浮かび上がった女性だ。勤務する店のHPに上がっている出勤スケジュールにて翌日の予約が可能だった事から、調査員は早速本日の昼イチで彼女に接触。いくらかのチップを握らせて、テンマの話を聞き出す事に成功し、すぐに和久田に報告が上がってきたとの事だった。 テンマが風俗店に行くのは、いつも自分の店への出勤前である。風俗街はY’stのあるホスト・ストリートからほど近く、そこからの出勤もし易い。行きつけの店は常時3、4件あり、リコちゃんはその内の1店舗に2ヶ月ほど前に新人として入店した女性だった。お気にだった嬢が退店してしまってから足が遠のいてしまったものの、店のホームページだけはいやらしくチェックしていたテンマ。リコちゃんが新人という事と自分好みのルックスだというのでまんまと食いつきネット予約で指名して来たのが最初だったという。テンマはそれから連日のようにリコちゃんに通い詰めたらしい。しかし、やたらと本強(※風俗店の店内で実際のセックスを強要する事。禁止行為である)や店外(店の外でデートする事)を要求される事に面倒臭くなったリコちゃんは段々とテンマを持て余した。リピートも戻り始めて客足が安定した事もあり、リコちゃんは店に相談してテンマをNGにした。それがほんの半月ほど前の事なのだという。だから、指名して話を聞きに行った調査員にも、「話したらプレイしなくて良いの?まあ、もう切った客の事だしいっか」と、案外すんなりと話してくれたのだそうだ。 『好奇心でゲイ専用のマッチングアプリをやってみたら便利な男が釣れたと笑い話にしていたようです』 またきちんと書面に纏めますが、と言い置いてから簡潔な報告を述べる和久田。スマホ越しのその声は淡々としていたが、何処か呆れを含んでいるように麗都には聞こえた。 「ゲイ専用の、マッチングアプリですか…」 『はい、専用、です』 「…」 宇高から、祈里はテンマに好意を抱いているようだと聞いていたので、彼の性指向が同性に向いていたという事には今更驚かない。が、アプリを利用してまで相手を探していたという事には少なからずショックを受ける麗都。そんな物を使わなくても、あれくらい綺麗なら普通にしていても男は寄って来そうなものだが。しかしその辺は、本人なりに何か理由があっての事かもしれないと思い直した。 テンマは高校を卒業してからすぐにホストになり、いくつかの店を移籍しながらもう5年は経つと聞いた事がある。対して祈里は、大学進学で地方から出て来て2年。宇高の所でも思った事だが、麗都にはそんな2人の接点がどうしても思いつかなかったのだ。だからそれがわかってある意味スッキリした。 まあ、それはわかったとしても、『便利な男』との表現にはイラッと来る。便利と表現するからには、よほどの扱いをしていたという事か。 苦虫を噛み潰したような表情になりながら、麗都は和久田に先を促した。 「切っ掛けはわかりました。それで?」 『はい。それでですね、その男がなかなか見られるルックスだったので、好奇心も手伝って抱いてやったらベタ惚れされた。頼めば何でもやってくれるから、売り掛けを飛ばれて数百万の借金を抱えたと言ったら金を工面してくれる事になったと笑ってたらしいです。…これ、祈里君の事、でしょうねえ』 「…自分が仕事で作った借金を、店とは関係の無い祈里君に背負わせてるって事ですか?」 『そういう事になりますね。しかもですね、Y’stのオーナーに確認してみましたが、テンマ君にそんな売り掛けは無いと。そもそもテンマ君のお客さんは細客ばかりで、売り掛けしてまでハマり込んでるようなお客はいないんじゃないかと不思議そうにされた次第でして…』 「…そう、ですか。」 つまり、嘘。 テンマは最初から祈里を騙す為にそういう絵を描いて、夜遊びすら知らない普通の学生だった彼をあの商売に堕としたのだ。 『あ、あとですね…現在はリコちゃんの店から3軒隣の店の新人嬢にハマってるようで、そっちとは店の外でも会ってるみたいですね。その嬢が店で、ホストの彼がブランド物やアクセサリーをせっせと貢いでくれると自慢しているらしくて、あの辺の嬢の間ではちょっとした噂になってるらしいです』 それを聞いて、麗都はふつふつと湧き上がってくる怒りで頭が真っ白になる。 怒り。いや、これは、殺意。 祈里がテンマの借金の為にと身を削って作った金を、そんなくだらない自慢をする女に注ぎ込んでいるテンマに対する明確な殺意だと、麗都は唇を噛み、拳を握り締めた。
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