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㊳
まさかこんな歳になってお姫様抱っこをされるとは思わなかったし、衆人環視の中でキスされた事に至っては完全に想定外。正直、非現実的な程に美しい麗都の顔面で映画やドラマのようなシチュエーションを繰り出された事に少しときめきはしたが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。たちまち熱くなった顔を両手で隠すと、麗都はクスッと笑い、
「これで少しの間静かになったね」
と言って、その場から足早に歩き出した。それから、麗都に抱き抱えられてのホテルまでの道中。祈里は羞恥からずっと顔を上げられなかった。
最初に連れて入られたシティホテルの部屋に戻り、乱れたままのベッドの上に降ろされた祈里。降ろされはしたものの、すぐに横に腰を下ろした麗都の膝の上に乗せられる。さっきY’stに連れて行かれた時のように。そして何をする訳でもなく、祈里の背中を撫でる麗都。その手つきは優しくて、さっきまでなら多分、泣いてしまっただろうなと祈里は思った。でも、天馬の為の涙も、愚かにも利用されて惨めだった自分に対する涙も、あの場で十分流した。すぐに忘れられるとは思わないが、どうしようもない事で泣くのも結構しんどいのだ。
(もしかして、慰めてくれているのかな…)
人間離れした彫像のような美貌は冷たく見えるし、実際天馬を追い詰める様は容赦無くて怖いほどだった。なのにそんな人が、自分には会った瞬間からずっと優しい。さっきY’stに向かったのも、祈里に天馬の所業を確かめさせる為だったし、その後の展開を見ている限り、麗都の言葉や行動には、最初から一貫して確信が伴っているように見えた。
『大丈夫だよ、俺は全部わかってるからね』
あの言葉は、本当だったのだ。という事は、幼い頃に面識があったと言うのも事実なのだろう。麗都が口にした病院は確かに実家の近所にあるし、母に連れられてそこに行っていた記憶も、兄よりもずっと優しい誰かと遊んだ記憶も、朧気ながらある。さっきはそれが麗都だったと言われてもピンと来なかったけれど…今は、何となくそれが彼だったと言われたら納得出来てしまうのだ。自分を見る麗都の瞳から感じる優しさにも、大切だと言わんばかりの柔らかい触れ方にも、妙な懐かしさを感じるから。
ただ、やはり…恋人になるというのはよくわからない。幼い頃にほんの僅かな期間、交流しただけの相手に、何故そこまでと思ってしまう。それとも、あの頃の自分が麗都と、何か約束事でもしたのだろうか?もしや小さい子にありがちの、『大きくなったらケッコンしよーね!』というアレか?
しかし祈里が2、3歳だったというなら、見た目からして兄と同じくらいの年齢に見える麗都は既に当時小学生だった筈。ものの分別がつき始めていたであろう年頃の男子が、自分より遥かに幼い"男児"とそんな事するだろうか?いや、女の子ならいざ知らず…。
しかし気になってしまったら聞かずにはいられない。祈里は麗都の顔を見上げて呼びかけた。
「あの…麗都さん」
「ん?どうしたの?」
目元を綻ばせて首を傾げられ、少し固まってしまう祈里。美形の破壊力、凄い。思わず見蕩れてしまいそうになり、ハッと我に返って言葉を続けた。
「…あの、麗都さん、さっき言ったじゃないですか?僕達、小さい頃に会ってるって」
「うん、そうだよ」
「まさかとは思うんですけど…もしかしてその時、僕何か言ったりしました?」
「…何かって?」
意味深な間を置いて、質問に質問で返す麗都。恥ずかしいけれど、はっきり聞かなければ伝わらないか…と思った祈里は、思い切って聞いた。
「例えば…お兄ちゃんのお嫁さんになるとか、そんな感じの?」
それに麗都は首を振りながら答える。
「ううん、言ってなかったよ」
「そ、ですよね。いくら覚えてないくらい子供でも、さすがに男の子同士じゃ…」
やはりそんなベタな事はないよな、と思う祈里。ホッとしたような、少し残念なような。しかしそんな祈里に、麗都は言った。
「言ってないけどずっと思ってたよ。この子が欲しいって」
「え」
「決めてたよ。この子は俺のものだから、次に会えたら、その時は…って」
「あ…っ」
その吐息は耳や首筋に纏わりつくように熱く、声は鼓膜を溶かしてしまいそうに甘い。
「君にとってはタダの"遊んでくれたお兄ちゃん"でも、俺には違った」
「あ、あ…っ」
祈里の薄い耳朶を麗都の唇が食む。下腹の奥を微かに柔く刺激してくるそれに、祈里は思わず身震いをしてしまう。耳殼に舌を這わされ、柔く歯を立てられ、肌が粟立つ。それは悪寒ではなく、快感だ。
「れ、麗…、はなし、を…」
「この子は俺のにしようって決めてたのに、ある日突然引き離されて。君を取り上げられたと思って、それが俺の心を壊した。だから忘れていた期間もあったのは悪かったと思ってるけど…」
「ん、や…ひっ」
麗都の大きな手の、長くしなやかな指が耳の後ろを擽り、顔の輪郭をなぞる。頬に辿り着き、指の腹で皮膚の感触を確かめるように無でる。
「でも、こういうのも三つ子の魂百までっていうのかな?成長した君の姿を見た時、あの時の子だとはわからないままに心が騒いだ」
「…んっ、う…れ、れいと、さ…」
「それなのに、ねえ?せっかく出会えた大事な蝶々に穢い虫が付いてたら…駆除しなきゃって思うじゃない?」
性感を刺激されてささやかに立ち上がりかけた胸の尖りを薄いシャツの上から撫でられ、祈里は喘ぐ。
もう鈍い祈里にもわかっている。穏やかに見せかけて、実際は激流のようなマグマを湛えた麗都の内面。そして今それが、自分に向かって噴出してこようとしている事に。
「でも大丈夫。これからは余所見なんかさせないから安心してね」
ああ、流されてしまう。
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