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出会いの物語
アイツの誕生日が近くなると、未だに気持ちが落ち着かなくなる。
約束通り、あいつか生まれ変わり、実はもう傍に来ているのではないかと…………錯覚してしまうからだ。
「…………そんなこと……ある訳ねぇのに……」
ポツリと口から衝いて出るのと同時に、手に持っていたグラスがするりと滑り、大きな音と共に床で小さな破片へと姿を変えた。
「マネージャー!」
するとその音を聞きつけて、客の少なくなった店内から、千尋が血相を変えて戻ってくるのが見える。
「───大丈夫ですか!?」
「ごめんごめん…。ちょっとぼーっとしちゃって……。すぐ片付けるから……」
「あー!私やりますからッ!」
バックルームへ箒を取りに行こうとした直斗を止めると、千尋はため息を吐き、自分より遥かに背の高い男の顔を心配そうに覗き込んだ。
「…………奥で少し休んで来て下さい。最近また休み無しですよね」
「大丈夫だよ。僕は慣れてるから」
作り笑顔を返す直斗に、今度は冷たい眼差しが向けられた。
何度と無くこの強がりとも、責任感とも言える言葉に押し切られ、その背中だけを見せられてきた。
「また食器割られても困りますし、今、体調を崩されでもしたら、もっと困ります」
「……はは……千尋くん……相変わらずキツいね……」
「当たり前です。私がいなかったら1番困るのは藤井さんだって理解ってますから」
困った様に笑う直斗の背中を押し、バックルームへ行かせると、千尋は箒とちりとりを使い床で散々になったガラスを片付け始めた。
この時期、直斗は必ず落ち着きを無くす。
以前一度だけ、それを言った時「知り合いの誕生日が近付くとダメなんだ」そう言って笑っていたのを覚えている。
“知り合い”と言った“その人”が、恐らく『大切な人』だったのだろう……と、千尋にも簡単に想像がついた。
直斗と知り合って、もう7年程になるだろうか。
別にプライベートで付き合う様な仲では無い。
7年職場が同じで、今では上司だが、両手で数えられる程しか職場以外で会ったことがない。
それも所謂『飲み会』とか『歓送迎会』などと言われる類のもので……。
つまり完全なプライベートでは1度も会ったことが無かった。
千尋は手早く片付けを終わらせると、バイト数人に指示を出し、自分の仕事へ戻った。
店が暇な時間帯に発注作業を終わらせたかったのだ。
毎年この頃は、直斗が落ち着きを無くすのと同時に、必ず“インフルエンザ”だ“風邪”だ、と欠員が多くなる。
そしてその代わりに休みを削る直斗に、本当は少しでも休んで欲しかった。
忙しさで気を紛らわせようとしているのが、見ていて切なくなる程分かる。
「…………でも……私じゃ、ダメなんだよな……」
壁に寄りかかり手にしたボールペンを思わず強く握りしめた。
過去何人か、直斗が付き合っていた相手を見たことがある。
中には職場で知り合った者もいたし、その相手が女とも、男とも限られていなかった。
しかも同時に1人とも限らない。
別にそれをひけらかす訳でもないが、隠すわけでも無い。
そして恐らく……そのどの相手とも“本気では無い”ことも解っている。
「……最低だと思うのになぁ…………」
バックルームへ繋がる扉を見つめると、“誰も知らない本音”が千尋の口からぽつりと漏れた。
「可愛いだろぉー?姫もさ可愛いんだけど……男の子はまた別だよなぁ……」
スマホの中の写真を次々と見せる康平に呆れたように笑うと、タバコを1本取り出し口に咥えた。
「嫁さんに似て良かったじゃん」
憎まれ口を返し、ノブが差し出した火にタバコを向けた。
「それなッ!」
それでも嬉しそうにしている康平に肩をすくめると直斗はビールを喉へ流し込み、ノブと笑いあった。
2人目が生まれるから、と自粛していた康平と数ヶ月ぶりにノブの店へ足を運んでいた。
10代の頃から入り浸っているこの店に、未だに時々訪れる。
時間が止まっている様に変わらないこの店が、居心地が良くもあり、時々辛くもさせる。
「お前は相変わずか?」
自分用の焼酎を読み終えると、また新たにグラスに注ぎながらノブがチラッと直斗へ視線を向けた。
「まぁ……相変わらずだな」
「適当に遊んでんだろ?」
「今は忙しくてそれどこじゃねぇよ」
残りのビールを一気に飲み干すと、直斗は空のクラスをノブへ手渡した。
「ビールか?」
「いや……俺も焼酎でいいや」
「お前もさぁ……そろそろ結婚しろよッ!いいぞぉー!帰って誰かが待っててくれるってのはさ」
1人でニヤつきながらスマホを眺めていた康平は、それから目を離すと余計ニヤつきながら直斗の肩を叩いた。
「ガラじゃねぇよ」
「俺が待っててやっても良いけどな」
康平との会話にノブが茶々を入れるのも相変わらずだ。
「うるせー、おっさん」
「良いじゃん!この際ノブくんとくっついちゃえよ!?」
「はぁ⁉︎──ふざけんなよッ!」
「俺はお前なら店畳んでもいいぞ?」
「なんで俺が食わせる前提なんだよッ!ふざけんなよ……だいたい『ノブくん』て歳かよ……」
こんなくだらないバカみたいな会話が、今は何より有難かった。
人を初めて心から愛した時も、この店に入り浸っていた。
初めて『自分以上に大切な存在』が出来た。
まだ18になったばかりの直斗が、一生共に過ごしたいと思っていた。
あれから10年。
今も心の奥に住み続けたまま、離れない。
「……そろそろだな………」
ビールを口にすると、康平が正面を向いたまま真面目な顔で口にした。
「今年も1人で行くのか?」
「…………まぁな……」
一言だけ返すと、空になった直斗のグラスの中の氷がカランと音を立てた。
毎年『零の誕生日』は1人で零に会いに行く。
この10年、どんなに忙しくても欠かさず訪れ、「毎年一緒に祝おう」と言った約束を守るように、共に過ごしてきた。
「お前……忙しい時期に産まれんなよ」
時にはそんな愚痴を笑いながら言ったこともある。
決して帰ってこない返事を心のどこかで期待しながら。
「生まれ変わって必ずそばに行くから」
その言葉を馬鹿らしい……そう思いながら待ち続けている。
「あー…………飲みすぎた……」
肌寒い冬の風が頬を撫で、直斗はそれに抗う様に肩を竦め両手をコートのポケットへ突っ込んだ。
明日は久しぶりの休みということもあり、時計はとっくに日付けをまたいでいる。
それでも人通りの耐えない道が妙に鬱陶しく感じ、直斗は特に当てもない脇道へ入り込んだ。
小さな店の入口が数件並んだだけの、その看板さえ消えているその道が厭に静かで、さっきまでいた賑やかさが嘘のように、まるで別の空間に来てしまったかのような錯覚さえ起こさせた。
しかし今の直斗にはそれが心地好く、目的も無くのんびりと歩き始めた。
店で康平に言った通り、今は別段誰かが待っていることも無い。
それに行きずりでホテルへ行く相手を探す気にもなれなかった。
以前なら寂しさを誤魔化す様に、重ねる肌を求めていた。
それ程この時期は毎年直斗を辛くさせていた。
「……おっさんかよ……」
思わず苦笑いすると、足元を何かが掠めるのを目の端が捉え、何気なくそちらに視線を向けるた。
特に気を引かれた訳でも無く、無意識に向けた瞳に真白い猫が顔だけこちらに向け、直斗をじっと見つめているのが映った。
薄茶色の色素の薄い大きな瞳が、寄ってくるでも、逃げる訳でも無く、ただ直斗を見つめているのだ。
「…………お前も1人か……?」
意図せず口を衝いて出た言葉にも、身動きせず見つめる猫に直斗はしゃがみこみ手を差し伸べた。
するとゆっくりと近付いてきた猫が、直斗の手に首を擦り付け
「ニャー」
と1度だけ鳴き、目の前に座るとまた茶色の瞳が揺らぐこと無く直斗を見つめた。
何かを思い出させるのに、それが何か思い出せないような、思い出すことを拒んでいるような違和感が直斗の胸を占めていた。
「…………お前……」
暫く見つめ合った後、直斗が口にすると、猫は不意に立ち上がり“ストン”と、すぐ近くのゴミ箱に飛び乗りもう一度振り向いた。
「───待って……」
すると立ち上がった直斗から逃げる様に、今度は塀の上に飛び移った。
「───零ッ───」
思わず口を衝いて出ていた。
幾度と口にした愛しい名前。
あの冬から、こんな風に口にすることは無かった名前……。
すると、塀の上でピタリと動きを止め、茶色の瞳が再び直斗を振り返った。
何かを含んだ様な瞳が真っ直ぐに直斗を見つめる。
「………………零……?」
しかし近付こうとした直斗から視線を逸らすと、白い姿はそのまま塀の向こう側へと消えていった。
ほんの数分の出来事に直斗は動けずに立ち尽くしていた。
そんなことある訳ない……。
そう思うのに、もう一度あの猫が戻って来るのではないかと動けなくなっていた。
「もし……本当に生まれ変われるなら……俺……絶対直斗のところに戻ってくるのにな……」
零の言葉が頭の中でこだまする様に響いた。
その言葉に縋るように生きて来た。
どんな姿でも構わない。
ただもう一度会いたくて
名前を呼びたくて
もう一度、見つめて欲しい……。
今年初めての雪がひらひらと落ちてくる中、直斗はひとり猫が姿を消した跡を見つめ続けていた。
「おはようございます。──久々のお休みどうでした?」
直斗の姿を目にすると、千尋はコーヒーマシンの準備の手を止め、笑顔を向けた。
「お休みありがとうございました」
いつも通り、それに笑顔で返してから
「いや……昨日は二日酔いで……1日寝てたよ」
そう言って、笑顔を苦笑いへと変えた。
目をキョトンと丸くして苦笑いを返す千尋と下らない会話を暫く交わすと、直斗はいつもの仕事へと向かった。
開店を前にスタッフが1人2人と増えていく。
「マネージャー、ちょっと良いですか?」
少し前に入ってきたパティシエの高岡に呼ばれ、厨房へ向かいながら一昨日の猫を思い出していた。
あの猫は一体なんだったのか……
何故自分があの猫に向かって零の名を呼んだのか……
結局分からないし、恐らく答えが出ることは無い。
今年初めての雪が見せた幻だったのか、それとも酒が見せた、ただの願望だったのか……
それでも直に零の誕生日が来て、きっと自分がその話をするだろうと解る。
そしてその後、決して返事を返せない零に向けて今年も言うのだ。
「早く帰っておいで」と。
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