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最初に声が聞こえた時は、まるで居酒屋やスクランブル交差点にいるような錯覚に陥った。それくらい、賑やかだった。
『私、助かるのかしら』
『あの看護師さん、採血下手だったなぁ。まだ痛い』
『廊下は走らないでって言ってるのに聞いてくれないんだから』
白い天井とそれを仕切るピンクのカーテン、消毒液のニオイ――それらがなければ、自分が病院にいるとすら思わなかっただろう。
「美優!」
ベッド脇から夫、蜷川陽太の声が聞こえたかと思うと、ガタッと椅子を蹴る音が響く。その直後、『目が覚めた、よかった』と再び陽太の声がした。
だが、陽太の口元は今度は動いていない。彼は慌ただしく動き回っていて、喋ったようには見えなかった。
『もう危なくないよな?無事でいてくれるなら、他に何も望まないから…』
相変わらず陽太の声は聞こえるが、彼はナースコールを押すとカーテンの向こうへ姿を消してしまった。
それでも尚、声が聞こえ続けるのは美優にとって不思議でならなかった。
「私、危なかったの?」
戻ってきた陽太に、美優は尋ねる。声を発すると喉がズキズキと痛み、口の中に鉄の味が広がった。
陽太はその質問に困惑した様子を見せ、彼の後ろに控えていた医師も動揺する素振りを見せた。
医師と看護師は、簡単な診察だけ済ませると、陽太を連れてどこかへ行ってしまった。
『何で知ってるんだ?』
『あまりしゃべらせてはいけない』
『まずは様子を見なければ』
彼らから聞こえた声の内容に、美優は疎外感を覚えた。それと同時に、彼らが聞かれたくないことを不都合な形で美優は知ってしまったのだと思った。
どうして病院にいるのか。どうして体が鉛のように重いのか。陽太が心配していた“危ない”の意味とは。
知りたいことは多いが、同時に知ることへの恐怖もあった。せり上がって来る鉄の味を喉の奥へ戻しながら、美優は再び目を瞑るのだった。
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