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〈もうすぐ病院着くよ〉
陽太からの連絡に、美優は左手で返信する。労いの言葉ではなく、ケーキが食べたいと新たに要求を送るためだ。
さすがに嫌いになるでしょ、と美優はぼんやりスマホを眺める。
〈わかった。買って来るね。何味がいい?〉
何でよ。美優は唇を噛み締めた。
後遺症が残るとわかってから、陽太には我が儘ばかり言ってきた。
ヘッドホンで声が聞こえなくなると気付いてから1ヶ月。その間に陽太はヘッドホンを8つも買って来た。それは、美優が何かと我が儘を言っては買い替えさせたからだ。
ここまでされたら普通、嫌いになるでしょ。愛想を尽かすでしょ。なのにどうして文句も言わず受け入れるの。
〈なんでもいい〉
陽太は、ショートケーキを買って来た。それは、美優の好きな種類のケーキだった。
その気遣いすらも、優しいねと笑顔で受け取ることができない。
愛想を尽かして離れていってほしいのに、彼がそういう素振りを見せるからだ。
これではただ自分が、嫌みで我が儘な女で。一方的な悪役でしかないことが惨めで恥ずかしくて仕方がない。
「……やっぱ、いらない。右手使えないから食べれないし」
「食べさせてあげようか?付き合ってた頃、よくやってたよね――」
どうして。病院まで来たところを、わざわざ1度引き返してケーキを買いに行かせたのに。そうまでして買わせたケーキをいらないと言ったのに、どうして嫌な顔ひとつしないの。
陽太の心の声はわからない。美優がヘッドホンをしているからだ。
ヘッドホンをしたまま話すことにも怒らない陽太が、不思議でならない。
それと同時に、美優は気づく。
嫌ってほしい、捨ててほしい――そう思いながら美優は、陽太の心の声から無意識に逃げていたと。
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