絵本と咳と、白い彼

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「君はまさか、一人なのか。ここで、いつも?」  男の人が私に尋ねてくる。  答えようと息を吸うと、喉の奥がちりちりとした。口からは言葉ではなく、乾いた咳の音があふれた。  発作が収まらず、息苦しさに涙が浮かべた彼女の背中を大きな手のひらがそっと支えた。 「具合が悪いのか。……何故誰も、この子の側にいてやらない?」  ゆっくりと彼女の背をなでながら男の人が呟く。  淡々としていても、彼女のことを気遣ってくれるような声音だった。  男の人は彼女の咳が収まるのを待つと、その体をひょいと腕に抱え上げた。ついでに、絨毯(じゅうたん)に広げたままになっていた絵本も一緒に拾ってくれる。 「顔色も良くないし、私が運ぼう。君の部屋はどっちだろうか?」  その問いに、すぐに答えることはできなかった。  ぐんと高くなった視界。  抱き上げられた腕の感触。  そしてすぐ近くで見た男の人の顔。  その全てに、彼女は言葉も出ないほどに驚いていた。  男の人は彼女と同じで、あまり日に当たっていないような白い肌をしていた。背中の方で軽く括ってまとめられた髪は真っ白で、二つの目の色はきれいな緑色。着ている上着からは冷たい外の世界の匂いがした。  彼女が何も言わずにいると、彼は少し困ったように目を逸らしながら言った。 「すまない。自分の屋敷とはいえ戻ってくるのは久々だから。どこが誰の使っている部屋なのか分からないんだ」  男の人はそう言って廊下へ出た。  部屋に溜まっていた暖かな空気がさっと離れてゆく。ひやりと重い空気が肌と、吸い込んだ体の中を刺す。また咳がこぼれそうになった。 「声を出すのが辛いなら、指差すだけで構わない。それとも使用人に代わろうか?」 「……ぅ」  彼女は強く首を横に振った。  自分が使用人たちからあまり好かれていないことを、彼女は知っていた。熱を出すたびに、粗相(そそう)をしてその手をわずらわせるたびに、彼らの目が言ってくるのだ。  いっそ、もういなくなってしまえばいいのに、と。  三歳の子どもにだって、自分が好かれているか嫌われているかくらい分かる。彼らの目と態度で痛いくらいに察してしまうのだ。  男の人は、彼女の様子を見ると小さく頷いた。 「では私が運ぼう。案内してくれ」  彼女が小さく指を伸ばす。男の人はその方向にゆっくりと歩き出した。
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