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扉をひらいて
彼女が生まれたのはクーウェルコルト西岸、バファル海に面したリディア領。クウェン十四領の中でも、始めの九領地と呼ばれる地域だった。
彼女の父親はハヴィク・オルニス・イル・リディアン。リディア領主の次男で、若い頃からリディア招来術工房に入門して研究に励む招来術師だった。幼い頃から将来を誓い合っていた最初の奥方を病気で亡くしてからは特に、自身の屋敷に戻ることもなく招来術に没頭していたという。
そう、アイラは彼の再婚相手だった。
豪商ルアナ家の、派手好きのアイラ。
彼女はハヴィクとの結婚式からわずか半年後に娘を生んだ。彼とは目の色も顔立ちも全然違う、唯一髪色だけが同じ銀髪の娘を。
ハヴィク・オルニスは、ルアナ家が見繕った体のいい結婚相手だったのだろう。今まで通り招来術の研究を続けられることを条件に、彼は父親であるリディア領主に言われるままアイラとの再婚を受けたのだ。
そこに愛など、かけらも存在しなかったはずだ。
だからこそ、そんな彼がたびたび自分の屋敷に帰って来るようになったことに、使用人たちは大いに驚いたようだった。
「ごほんを、おへやでよんでもいいですか?」
二階の奥にある書室の扉を叩いて、彼女はそう問いかける。
そこは彼の私室のすぐ隣で、使用人たちもめったに近寄らせない場所だった。
古びた部屋着に読書用の眼鏡をかけた彼は、困ったような顔で廊下に立つ彼女を見下ろしていた。
「おとうさまの、おしごとのどうぐにさわりません。じゃまをしません。おとなしくしています」
勇気を出して彼女が言葉を重ねると、彼は小さく息を吐いて頷いてくれた。
「……よろしい。入りなさい」
そうして彼女は、乾いたインクの匂いに包まれた書室の中に迎え入れられた。
彼女にとってそこは、お屋敷のどこよりも心地よく優しい場所になった。何度目かに訪れた際、用意されたひざ掛けや子供用の椅子を見た時は嬉しさのあまり彼の脚に抱きついた。ここにいて良いのだ、と初めて言われた気持ちがした。
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