142人が本棚に入れています
本棚に追加
31
31
〜綴〜
井波との電話が切れた画面を、暫くジッと見ていた。
寒い公園で身体に入った力がフワッと逃げた。
井波…何か言いたそうだったけど…
多分アイツも俺と同じで大して器用じゃ無さそうだし…何かあったらちゃんと言ってくるよな。
ベンチから立ちあがり、軽く伸びをした。
空を見上げたら、一番星が光っている。
フッと笑みが漏れて、もう一度携帯画面を覗いた。
井波の、「なぁ…如月」と言う声が、また聞こえた気がして、明日が早く来ないかと画面を撫でた。
この時の感情の意味は、俺に困惑を混ぜながら胸の中で溶けて広がっていった。
早く明日になれば良い
早く
早く
井波のアーティスティックに切られたアシンメトリーの思い切った前髪から覗く垂れた瞳が、俺を見て細められれば、満足を得たような気になれるから。
帰宅したら、父さんの帰りはまだで、母さんは電話で誰かと話をしていた。
声のトーンからいって、恐らく浮気相手だろう。
母さんが他に男を作る理由は単純だったし、理解も出来た。
彼女に逃げ場がないのは地獄でしかないからだ。
寄り掛かって良い場所が必要なら、仕方がない。
それが俺ではなかったというだけの話。
しかし、母さんの声色はどんどん変化して、しまいには錯乱するんじゃないかというような金切り声を上げ始めた。
壁に隠れてそれを聞いていた俺はズリズリと背中を滑らせて座り込んだ。
ガクンと項垂れた頭。髪を掻き上げるようにして、大きなため息が溢れた。
どうやら、別れ話をしているようだ。
母さんが縋り付くように懇願している。
パタリと声がしなくなり、部屋を覗くと、彼女は少女のように座り込み、天を仰いでいた。
カタカタ震えている肩を、俺は見て見ぬふりで二階の自室に足を向けた。
その途中だった。母さんの呼ぶ声に、体が固まる。
「綴っ」
階段の手すりをギュッと握ってから、振り返り「ただいまっ」と声を張った。
返事がない。
仕方なく階段を引き返し、リビングに顔を出す。
母さんはへたり込んだまま、首だけで振り返り、泣きながら小さく呟いた。
「綴…ごめんね」
淡いピンクのスカートが花弁に見えた。
その真ん中で弱った母さんはポロポロと泣きながら、俺に向けて母性とは無縁の笑顔で笑った。
最初のコメントを投稿しよう!