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「彬と楓は?」
子供達の姿はなかった。
「さっき来たんで、もう大丈夫だからと帰らせたよ。仕事や授業もあるだろう」
「そう……」
少し不可解に感じながらも、香子は夫の言葉に肯いた。
「高畑さんの奥さんかい?」
境のカーテンの向こうから大声が響く。
「あ、はい。ご挨拶が遅れて。よろしくお願いします」
香子はベッドに横になっている老人に挨拶する。
「高畑さんの奥さんかい?」
しかし、老人はまた同じことを繰り返す。
「二見さんって言うんだ。耳が遠いので、大きな声で言わないと聞こえないよ」
仁がそう教えてくれたので、近くに寄って、「高畑の妻です。よろしくお願いします」と大きな声で言うと、やっと聞こえたようで笑顔で肯いてくれた。
「午後に脳波の検査をやるって言われてて、それまで自由だ。あそこに椅子があるよ」
仁に言われて、香子はベッドの傍の丸椅子を窓際に運ぶ。
今まで気づかなかったが、高い目線で夫を見下ろすと、まだ四十代後半なのに白髪が何本も出ていた。
ふと、単身赴任先で夫はずっと一人で頑張っていたのだなと思う。
もちろん、だから浮気していいわけではない。
でも、とりあえず生きていてくれたのだ。傷が癒えたら、きちんと話そうと香子は思った。
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