ジョージ

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「どうやらまた太陽フレアのようだね」 「そ……ね」  妻の顔が悲しそうに歪む。 「暫く会えなくなるかもしれないけれど……」 「さ……わ」 「また会えるさ。それまで元気で」 「え……、あな……も」 「愛してるよ。マリア」  私はその細い肩を抱き寄せる。 「わ……も、あい……てる」  次第に目の前の風景が切り取られたピースのようにバラバラになってゆく。  そして震える肩の感触までもが段々と曖昧になっていって……。    戻ってきたのは、全身を覆うクッションの感覚。  辺りは真っ暗なのか光に包まれているのもかわからない。  ビービーと鳴り響く警戒音。 『磁場の乱れにより緊急離脱いたしました』  頭の中でアナウンスがこだまする。  私は小さく息を吐いた。  でも、それは実際に私の口から吐き出されたものなのか、頭の中でそう認識されただけなのかはわからない……。  プロテクトケースに収められている人間の口には、生命維持装置がつけられている筈だからだ。  今ケースの外の世界は、急激な地球環境の悪化により人間が生活できる環境にはないらしい。  生まれてからほぼケースの中で過ごしている我々には知る由もないのだが……。  普段私達の思考はバーチャル世界に生きている。体はケースに格納されたまま。  バーチャル世界とはいえ、他の人間とコミュニケーションをとり、人々が構築した社会の中で私達は生活している。  人がこの世に生を受け、家庭や学校、会社等で様々な人達と関わり合いながら成長していく様は、おそらく300年前とそうは変わっていないだろう。  実態がそこにあるのかないのかの違いだけで……。  私は両親に慈しみ育てられ、マリアと出会い、そして愛し合い結婚した。  本当の私達の体は触れ合ってはいないけれど、相手を思いやる気持ちは確かに存在しているのだ。  とはいえ私達がバーチャルの世界で作っている食べ物や製品は実際には存在しない。  私達が生きていく為のエネルギーを作り出したり管理しているのはAIだ。  我々はAIよって命を繋いでいる。 『……単独世界構築に移ります』  アナウンスと共に、徐々に目の前に見慣れたキッチンの様子が広がっていく。  けれどマリアの姿はそこにはない。  おそらく外に出てみても知り合いは一人もいないだろう。  太陽フレアが落ち着くまでの間、相互通信ができないので、単独世界で生活していくしかないのだ。  この世界にいる人間達は皆ケースが作り上げた架空のもの。  特に個性を持たない有象無象の類だ。  それでも誰もいないよりは良いけれど……。  この世界で生きているのは自分だけかと思うと、孤独感で押し潰されそうになる。  きっとマリアも必死にそれに耐えながら今を過ごしているのだろう。  ああ、マリアに会いたい。  彼女の優しい笑顔に包まれたい……。  でも仕方ない。彼女とまた会える日を楽しみに、この状況を乗り切ろう。  そう自分に言いきかせると、私は美味しそうな香りを辺りに漂わせているビーフシチューを一人分だけ盛りつけた。  放置されたままになっている二つのワイングラスを手に取ると、ダイニングテーブルに並べる。  ボルドー色の液体をトクトクとそれに注いでいく。  そして私はそれを持ち上げると、空いているグラスに軽く当てる。  静まり返った室内に、チンという涼やかな音が響いた。  きっとマリアも彼女の世界で同じことをしてくれているだろう。  空のワイングラスの向こう側に、彼女の柔らかい笑顔が見えるような、そんな気がした。
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