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翌日、俺は小瓶を返しに行こうとした。しかし姉ちゃんにおつかいを頼まれたので、エメスの一つ手前の街、バノンに行くことになった。
「ニャーオ」
バノンの中心部辺りを歩いていると紫色の不思議な毛の色をした猫がいた。
「……猫」
「ニャア」
歩いても歩いてもついてくるので一緒に家に連れて帰ることにした。
「ただいま」
「おかえりなさい」
家のドアを開けるとメノイ姉ちゃんが笑顔で迎えてくれた。幻ではない、本物の姉ちゃんだ。
「あら、かわいい猫ちゃんね。ちょっと大きいけど」
「うん」
「……ムジナくんのことは残念ね」
「……うん」
俺は紫の猫を姉ちゃんに押しつけ、手を洗ってから小瓶を置いている自室へと向かった。
ギィ、と音を立てて扉が開いた瞬間、甘ったるいにおいが廊下に漏れ出した。これは言うまでもない、小瓶の中身のにおい。俺は暗い部屋の真ん中でキラキラ光りながら動く小瓶に注目した。
「ニャア?」
「うわっ」
猫だ。猫がいた。ツヤツヤとした紫の色を持つ、姉ちゃんに押しつけたはずの猫が。
状況がわからなかった。光り物を好む猫は淡く青く輝く小瓶を転がしている。どうやって開けたのかはわからないが、小瓶を封じているコルクの栓が抜けていた。
猫がこっちを見た。目が合う。暗い部屋で金色に光る猫の目は蛙を睨む蛇のようで、俺の動きを封じていた。
突然、猫から
──これは試練じゃよ。
と聞こえた気がした。この声を聞いた時、確信した。この猫はあの老婆が化けた姿だったのかと。老婆の姿を見ていない姉ちゃんは「かわいい」と言って抱きしめていたが、その「かわいい猫」の正体はこの得体の知れない小瓶を俺に与えた老婆だったのだ。
俺は部屋に入るまいと階段を下りた。そして姉ちゃんがいるはずのリビングへ足を──
「──は?」
踏み入れることはなかった。俺は今、俺の部屋の中心にいたのだから。
幻術は扉を開けた瞬間に始まっていたのだ!
「……こんなものがあるから!!」
俺は刃がギザギザとした、切れ味抜群の愛剣ヨジャメーヌを取り出し、小瓶を破壊しようとしたが…………俺は自分の目を疑った。小瓶がどこにも無かったのだ。
「どこだ!?どこにある!?」
どれだけ探しても小瓶はない。だが、部屋の闇の中に何者かの気配を感じる。俺はヨジャメーヌを構えた。そして闇の奥から出てきたのは……。
メノイ姉ちゃんとムジナとヘッジさんと……俺自身だった。
「……っ!?どうして俺まで!?」
俺は後ずさりした。しかしそれは気持ちだけだった。俺はどんどん闇の方へと歩き出している。
この部屋はそんなに広くない。そのこともあり、闇へ近づくのがどんどん怖くなり、息が切れそうになる。心臓の鼓動も激しくなり、バクバクと音が聞こえてきそうなほどだった。
泣きそうになるが、呪いのせいで涙が出ない。もういっそこの幻の中で死んでしまおうか。それとも誰でもいいから助けてほしい。
──これは試練じゃよ。
紫の猫の言葉が脳内で木霊する。
「これは試練」と言われた。ということはどこかに解決策があるはずだ。だが、俺は動けない。
──誰か……姉ちゃんでもハレティでもいい!お願いだから……。
「……?」
目を開けると部屋の中に光が射し込んでいるのが見えた。重い体を気力だけで動かし、光の出所を確認した。
「……ヘラ。大丈夫だった?随分唸ってたようだけど」
俺の顔を覗き込むように姉ちゃんが優しい顔で話しかけていた。
「あら。こんなところに……危ないわよ」
姉ちゃんは机の上にコトンと小瓶を置いた。甘い香りはしていない。
でもどうして?においは廊下に漏れていたはずなのに。
「不思議だったわ。夢の中に入れないんだもの。変なにおいするし」
「夢?俺は起きてたはずなのに……」
「寝てたわよ。ぐっすりと、ね。疲れちゃったのね」
「うん……。……そうだ!その瓶、壊さなきゃ!」
俺は勢いよく飛び起き、机の上の小瓶に手を伸ばそうとした。しかしその手は姉ちゃんに弾かれてしまった。
「そんなことする必要ないわ。どこか見えない所に隠しましょ?」
「どうして?それはめちゃくちゃ危……険、な……」
俺の言葉の尻はどんどん小さくなっていった。姉ちゃんが怒っていたからだ。姉ちゃんは怒るととても手がつけられなくなる。
「……わかったわね?」
「……はい」
俺は何もできずに小瓶を隠されてしまった。姉ちゃんが部屋を出ていった瞬間、甘い香りがした気がした。
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