海 truth side

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 あれからそれなりの時間が過ぎたけれど、僕は仕事を変えることなく勤続年数を重ねている。  就職した翌年、空が就職して落ち着いた頃に家を出たけれど、それは逃げるためではなくていつまでも親元で過ごすのではなくて自立しよう、と本当に普通の理由だった。 「海、少し話せる?」  僕が就職して少し経った頃。  少しだけ仕事に慣れて、休日を休日として過ごせるようになった頃に空に声をかけられた。  洵先輩のことがあったり、大学生と高校生で生活の時間帯がずれたり。空が大学生になればなったで僕の居場所を奪うくせに長続きしない空と、それでもまた居場所を探す僕とですれ違ったりもした。  僕が就職すればそれこそ同じ家に帰るはずなのに顔を合わせない日が続くせいでゆっくり話すことがなくなった頃だったのに、わざわざ僕の帰りを待っていたようだ。  明日は休みだからと仕事帰りに弥生さんたちと食事をしてきた僕は少しだけ酔っていて、寝ていた空を起こしてしまったのかもしれないと思ったもののその顔に眠気を感じることはない。時計を見れば日付は変わっている。あの2人と過ごす時間は楽し過ぎて、ずるずると時間が過ぎてしまうのだ。 「ごめん、起こした?」  そう言った僕に「起きてたから大丈夫」と答えた空は「コーヒー入れておくからシャワー浴びてきたら?」とキッチンに向かう。 「酔ってるみたいだから湯船には入っちゃ駄目だよ」と子供扱いされたのは面白くないけれど、久しぶりに空とちゃんと話すのは嫌じゃなかった。  急ぐことなくシャワーを浴び、髪の毛を乾かす。バスルームの音はそれほど聞こえないはずだけど、キッチンに顔を出した時にはちょうどコーヒーを入れ終わった空がソレをどこに運ぼうか悩んでいるところだった。 「僕の部屋にする?  それともこのままキッチンで話す?」  そう声をかけると空は少し考えて「此処が良いかな」と答える。空の部屋という選択肢は…無い。 「で、話って?」  コーヒーを受け取り、テーブルに着くとそう声をかけて空の言葉を待つ。話の内容に見当がつかないためその言葉を待つしか無いのだけど、コーヒーに視線を落としたままの空はなかなか話し出さない。  楽しかった余韻と久しぶりに空と話すことによる軽い興奮のせいか、時計の針はそろそろ1時を指すけれど全く眠くならない。  時間は沢山ある。  コーヒーをゆっくりと啜りながらその声を待つと大きな溜息の後にやっと空が話し始めた。 「もう、誰とも付き合わないの?」  やっと出た言葉は何となく想定していた言葉で思わず笑ってしまう。 「だってもう、社会人だし。  会社関係の人とか、知らずに付き合って別れた後で顔合わせたら気不味いでしょ?」 「そうじゃなくて」 「…だって、見付からないから」 「見つからないって…」 「洵先輩」  僕の言葉にコーヒーを持つ空の手に力が入る。でも、この名前は避けては通れない名前だ。  お互いに無視して過ごしてきた存在は、無視したままにしておくには重すぎる存在だと知りながら言い出せずにいた名前。そろそろケジメを付けるべきだろう。  コーヒーカップを手が白くなるほどに握りしめる空を見て、その覚悟に想いを馳せながら言葉を続ける。 「洵先輩みたいに好きになれる人を探してたけど…もう洵先輩とのこと思い出せなくなっちゃったから。  もうね、色んな人と付き合い過ぎて洵先輩としたことなんて思い出せないくらい汚れちゃったから」 「海は汚れてなんてないだろ?」 「汚れてるよ?  もう、洵先輩とどんなセックスしてたかも思い出せない」  僕の言葉に空が驚いたように顔を上げる。 「洵先輩と海って…」  そう言って何かを考えているけれど、そこまで驚く理由が僕にはわからない。僕が先輩に抱かれていたなんて、先輩が空を抱いた時点で想定できるはずだ。 「だって空が邪魔するまで付き合ってたし、同性だったけど高校生だから不思議じゃないよね?」 「そんな…」  空の様子に何かがおかしいと思い、続く言葉を待つ。僕と空の間にある齟齬は一体何なのか…。  そして語られる洵先輩と空の真実。  別に、僕から洵先輩を奪うつもりはなかったこと。  初めて図書室から連れ出したあの日、どうして自分ではなく海を選ばないのかと詰め寄ったこと。  今までも僕の周りから人を遠ざけたかったのではなくて、空目当てだったとしても僕の人となりを知り、僕を選ぶ人を見極めるために動いていたこと。  何のためにと思ったけれど、小学生の頃に僕の身長を抜いた時に、僕よりも勉強にしても習い事にしても優れてしまった時に〈守らなければ〉と思ってしまったのだと苦い顔で告げる。  僕よりも空を褒め称える人を見て傷ついた顔をする僕が放っておけなかったと、無意識のうちに僕を傷つける人たちを近付けたくなかったと。  だから、僕の周りから僕を傷つけるであろう相手を遠ざけていたと。  そのことで僕が傷つき、悩み、諦めたことで自分が嫌われたのだと思い、だけど僕を守るために止めることができなかったのだと言葉を続ける。  空の幼い言い訳は理解できないこともないけれど、どう考えてもやり方が悪かった。僕に通じることのない空の幼い想いは僕を傷付け、僕を追い詰め、僕を孤独にした。  そして、僕が唯一救いを求めた相手を空が奪い去ったのだ。  そんな風に思いながらも静かに空の言い分を聞いているうちに聞かされた2人の真実。  空の手を取ったと思い1年待つことの意味がわからず諦めた僕と、僕の気持ちがわからなくなり無理矢理接点を持ち続けたいと動いた洵先輩のした空に対する仕打ち。 「海を目の前で犯されたくないなら自分に抱かれろって言われたんだ」  その言葉をなかなか理解することができなかった。 「先輩が家に来た時に縛られて、脱がされて、写真撮られて…。  海にこの写真を見られたくなかったら大人しくしろって、嫌ならオレを縛ったまま目の前で海の初めてをもらうって。  大人しくされるがままでいたらまた写真撮られて、写真を海に見せられたくなかったら自分でケツの穴の支度をしろって…」 「嘘…」 「嘘じゃないよ。  何なら写真見る?」  言いながらスマホを開こうとするけれど、空が見られたくなかったはずの写真を見るのが忍びなくてその手を止めさせる。消してしまいたかった写真を残しているのは僕に言い訳するためなのか、洵先輩との接点を残しておきたかったのか…。 「でも、その時には僕はとっくに洵先輩に抱かれてた」 「みたいだね…」  空が大きくため息を吐いた。 「別に2人がセックスするのは好きあってたらいいと思ったけど、無理矢理とか駄目でしょ?」  そう言って受け入れた理由を教えられる。僕が無理やり暴かれるのならば自分が身代わりになればいいと。 「別にオレは童貞じゃなかったし。  まぁ、屈辱的ではあったけど」  暗にお前は童貞だったのだろうと言われたのに気付いたけれど、それに反論することもできず話を聞く姿勢のまま空を促す。 「はじめはさ、海を守りたいって気持ちと好奇心?  脅されたのもあるけど興味もあったしね」  そう言って苦笑いするけれど、半分は本音、半分は嘘だ。  僕は空の本音を知ってるから。 「でも、ただの欲求不満を解消する道具のはずだったのに…好きになっちゃったんだよね」  可哀想な空。  叶うことのない想いをうまく利用され、僕の代わりに抱かれていた空。 「オレのこと抱く時にずっと海の名前呼んでたって知ってた?」  その言葉に小さく頷く。 「じゃあ、先輩がオレに触れずにただ挿れるだけだったのは?」 「何、それ?」  言ってる意味がわからなかった。  僕の名前を呼びながら空を抱いていたことは知ってる。それは、自分を正当化するように弥生さんに告げられた歪な告白。空は僕の代わりでしかないと空に刻み付けるために呼ぶ僕の名前。  だけど、僕の名前で空を呼び、僕を慈しんだように空を慈しんでいたのだと思っていたから諦めるしかないと思ったんだ。それが間違いだと知っていたら、僕の名前を呼ぶだけでなく、空に対してそんな仕打ちをしているのだと知っていたら僕は迷わずこの身を投げ出しただろう。空を傷つけないために、空を守るために。 「うちに来る時は支度をしておけって言われて、来たらすぐに挿れて出すだけ。  片付けの楽なオナホ扱いだよ。  服だって脱がない、直接触りたくないからってオレを脱がすこともない。  ただ挿れられるだけなのに海のことを守ってるって良い気になってるうちにどうせなら気持ちよくなれるようにって自分で動いて、気持ち良くなればその気持ちよさを与えてくれる洵先輩を好きになって…気持ちのすり替え?  酷くされても好きな人にされてると思えば気持ち良くなるし、気持ち良ければもっとしたくなる。  だけど、海がオレのこと見てくれなくなった時に海も洵先輩もオレを選んでくれることはないんだって…その時になってやっと気付いたんだ。  馬鹿なことをしたって」  空から告げられた許すことの出来ない真実と、弥生さんから聞かされた時に吐き気を催した僕たち兄弟の人権を無視した洵先輩の非道な行い。 「1年待ってくれたら戻ってくるって言われてたんだ」  空が話したことに対する僕の答え。  空がここまで話したのだから僕もちゃんと話すべきだろう。
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