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想い出キッチン
記憶というのはどうしてこうも残酷なのだろうか。
祖母の作る太巻きが好きだった。働き者の、かさついたそれでいて柔らかく温かい手で生み出される料理は、私にとって御馳走の山。その中でも、嫌いなかんぴょうが美味しいと感じる甘い太巻き。帰省した時に必ず出てくるそれを、いつも楽しみにしていた。
「なっちゃん。これはね、こないして巻くんよ」
祖母の柔らかな方言交じりの声で教わる料理はどれも少しだけ甘い。焼肉にだって砂糖が入るのだ。太巻きの人参やかんぴょうもほんの少しだけ甘くなる。全体的に甘いはずがくどさのない祖母の味を舌は確かに覚えている。それなのに、あの味を再現する事が出来ないまま、十数年の月日が流れてしまった。
留守番電話に残したままの祖母の声。最後の伝言は、家族の誕生日を祝う言葉と、体調を気遣う優しいものだった。成人したら、祖母と暮らす予定だったのだ。それすら叶わず、孝行もろくに出来ぬままに、祖母とは二度と語り合えなくなってしまった。
もう少し、性格が素直であったなら、恥ずかしがらずに、将来一緒に住もう。と、言えただろうに。計画を立ててから、なんてまどろっこしい事を言っているうちに何もかも叶わなくなってしまった。
つらい事がある時、苦しい時、祖母の残した伝言を繰り返し聴く。
間違って消えてしまわないよう。消してしまわないよう。伝言が入っている際は、普段より少し慎重に操作する。それでもいつか、忘れてしまうのだろうか?
覚えているはずの味が取り戻せない様に。
「想い出の味を再現しませんか?」
普段なら気にも留めないポスティングが気になったのは、挫折して作る事がなくなった太巻きを思い出していたから。思い出の味。それが再現できるなら、してみたいものだと思った。
折り込みに書かれていた番号に電話すると、コール数回で明るい女性の声が聞こえてきた。
「お待たせいたしました!想い出キッチンのハノです。ご予約ですか?」
「お忙しいところ申し訳ありません。大崎と申しますが、少しお伺いしたくお電話いたしました。今、お時間は大丈夫でしょうか?」
「はい! 大丈夫です。どのようなお問い合わせでしょうか?」
「ちらしを見てお電話したのですが、思い出の味。というのは、曖昧でも可能でしょうか?」
多分、一流レストランの再現とかだろう。そう思いつつ訊ねると、「もちろんです」と、即答された。かえって怪しい気もしたが、あの味をもう一度。という思いが消しきれず、祖母が昔作ってくれた太巻きを作りたい。と、伝えると、可能であるとの返答だった。価格を聞くと材料費込みで一万円。相場が分からないがマンツーマンでの指導であるならば安い方かもしれない。再現できなくても手順を習っているうちに思い出すものもあるかもしれない。と、その場で予約を入れた。
住宅地の片隅にある小さな戸建て。その入り口には「想い出キッチン」と手作りの看板が立ててある。
どこか懐かしさを覚える作りの家の玄関を開けると、奥からぱたぱたと足音を立てて女性が駆けてきた。
「いらっしゃい!」
気安い友人のような挨拶を行い、笑顔を振りまく女性に圧倒されながらも「お邪魔します」と、挨拶を返して靴を脱ぐ。
電話と同じ声だから彼女がハノさんなのだろう。頭を軽く下げ、彼女の後をついて廊下を歩く。
「頼んでいた物は持ってきてくれましたか?」
「はい。祖母の写真と、太巻きを作っていた巻きすなら。」
「完璧です! それでは、こちらにどうぞ」
案内されたのは料理など関係なさそうなリビングルーム。調理器具の一つも用意されていないが、窓際に一人用の椅子とミニテーブルが用意され、その上には小さな水盆が置かれていた。座る様に促されて腰掛けると、水盆の中にすだれを入れ、横に写真を置いて水盆を眺めるように言われる。おまじないのようなものなのだろう。
変った行為だとは思うが、予約してしまった手前今更怪しいから帰ります。とも言い難く、言われた通りに実施し、深く呼吸をしながら水盆を覗き込んだ。
♢
甘く懐かしい香り。少しだけ狭く感じる台所。
流しと直角になっている二口コンロ。大きめの冷蔵庫。そして、笑顔で料理を作っている祖母の後ろ姿。
「おばあちゃん」
「なっちゃん。お手伝いに来てくれたん?
座っててもえぇんよ?」
「ううん、手伝いたいの」
「そう? ありがとう」
のんびりとした口調と、訛り。穏やかな祖母の声。この声で名前を呼ばれるのが好きだ。
祖母の優しい笑顔で見つめられると、心が安らいでいく。邪魔をしないように気を付けつつ、振り向いた祖母に近づいて手元を覗き込んだ。
「おばあちゃん、なに作るの?」
「今日はね、なっちゃんたちが来てくれたけん、なっちゃんの好きな太巻きにしようと思ってるんよ」
人参、桜でんぶ、かんぴょう、きゅうり、卵、しいたけ。
祖母が炊いたお米を寿司桶にいれて米酢と砂糖、塩を入れていく。
計量カップなどは使わず、お玉で適当に入れて混ぜ合わせていく。ひとつまみ手に乗せて口に運ぶ。酸味が少し強い程度の味になったらひたすら冷ます。
しゃもじで切るように混ぜて味付けをしている間はうちわ係。味が決まったら、混ぜながら冷ます係をもらった。
米の重さに汗をかきながら冷ましている間に、祖母は人参を切って、戻したしいたけとかんぴょうを切って、人参としいたけ、かんぴょうをなべに入れていく。
分けてやるわけではなくて、一緒に煮ながらなべから上げる時間だけがずれていく。
鍋の中にはしょうゆとみりん、砂糖が入っていて、甘い汁が出来ている。そこに具材を入れて煮ていくのだ。
そうだ。そう。醤油。祖母の家で使っている醤油。甘い醤油。家で使う醤油とは違う味に最初は驚いたのを覚えている。
しいたけの戻し汁を少し加えて、具材が半分浸るくらい醤油を入れたら水と、みりん、砂糖で味を調えていく。少し濃いめに味を付けて、中火で煮込んでいく。そうすると、味が染みていくのだ。
そうだそうだ。ちゃっちゃと作っているが、意外とおおざっぱだった。
家でレシピを調べた時に、なんで一つずつつくるんだろう?って思った事を覚えている。
味が染みたら出していくのだしいたけ、かんぴょう、人参の順番で。それが、祖母の作り方。
煮ている間に卵を溶いて、フライパンへ。卵もしょっぱくはない。甘め。それで錦糸卵を作る。
「なっちゃん、どないしたん? じーっと見て」
「家でも作れるかなって」
大好きな祖母の味だ。家でも食べたい。
「そんなら、簡単に教えるけんもう少し近くにおいで」
手招きをする祖母の隣に立ち、太さや酢飯の量などをなんとなく習う。
一緒にもっと料理が作りたかった。
どうしてそう思うのだろう。祖母の家に行くたびに一緒に作っているのに。
「なっちゃんは料理が好きやけん、おばあちゃんより美味しく作れるよ」
笑いながらそういう祖母に「おばあちゃんのご飯には敵わないよ」と、笑顔で返した。
♢
「お疲れさまでしたー」
気の抜けた声に顔を上げる。
頭がぼんやりしているが、水盆を見つめているうちに眠ってしまっていたらしい。
なんだか、とても暖かい夢を見ていた気がする。大きくなった私と、祖母が一緒にいたような……?
「ご飯が炊けたので、太巻き作りに挑戦してみましょう」
にこやかに話し掛けてくるハノさんに返事をし、促されるままキッチンに向かう。
人参、戻してある干しシイタケ、かんぴょう、きゅうり、桜でんぶ。
そこに祖母の家で使っていた醤油とみりん、砂糖、塩が置かれている。
ご自由に。と、ハノさんに促されるまま、祖母程手早くない私が時間をかけ、記憶を辿る様に作り上げた太巻きは、懐かしい祖母の味がした。
「想い出したい味が見つかったら、またお越しください!」
お重に詰まった太巻きを手土産に想い出キッチンを後にする。
祖母に教わりたい事はたくさんあった。魚の捌き方、煮付けの作り方、甘いすき焼きの作り方、お餅つくり……。記憶の片隅にはしっかりあるのに、思い出せない味。
きっと、またここに来る事になるだろう。
一つ味がわかるようになると、あれもこれもと贅沢になる。
今は、思い出した作り方を書き留めておかないと。今度は忘れないように。
帰り道、増えた荷物の重みが、私の心を弾ませた。
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