Ⅳ 思い出と宝石

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「おかわりを淹れるよ」円はそう言い、脇に置いてあった電気ポットを引き寄せる。「そろそろ仕事の話もしようか」 「あの、ありがとうございます」 「何が?」スプーンで顆粒をすくう手を止めて円が言う。 「この仕事のこと。私もかかわらせてくれて」 「そうしないと真琴ちゃんの気が済まないんだろ。いいよ、乗りかかった船だ。まあ意味は、ちょっと違うかもしれないけど。とにかくいまは西田さんの依頼に集中しよう」  真琴は頷くと、円に自分のカップを差し出した。 「やっぱり西田さんの家でできたらよかったですよね、過去視」 「終わったことは仕方ないよ。チャンスはまだあるさ。それより、いまできることをやっていこう。知り合いに本物の探偵がいるから、まずは身辺調査を頼んでみるよ」 「探偵? 顔が広いんですね」 「仕事柄ね」円はそう言って、真琴の目の前にコーヒーのおかわりを置いた。「ところで、真琴ちゃんはどうだった。西田さんの家を訪ねてみて?」 「すっごく失礼な人でした!」 「本人のことじゃなくてさ。あの家のことだよ」 「あ、そっちですか。日当たりはあんまりよくなかったですよね。それから、前に母から聞いたんですけど、あのあたりってちょっとお高めの新興住宅地みたいなんですよ。こんなこと言ったらあれだけど、西田さんの家はちょっと無理してる感じがしました」 「無理?」 「ええっと……学校のクラスのグループなんかでもそうですけど、よく同じ系統の子たちが集まりがちじゃないですか。西田さんの家ってなんて言うか、目立つ子たちのグループにおとなしい子が混ざってるみたいな感じで……もちろんそれがいけないってわけじゃないんですけど」 「なるほどね。女子高生らしい着眼点だ」 「ずっと休んでますけどね」 「ほかに何か気づいたことはある?」 「結構片付いてましたよね」 「そうだったね」 「でも、男性の一人暮らしですよね。あの家に一人きりなら使わない場所もあるんでしょうけど……私の父なんてすぐにあちこち散らかすんですよ。そのたびに母に怒られてて」  そう言いながら、真琴は隣の台所を見た。けして荒れ放題というわけではなかったが、収集日に出し忘れたまま口を結んだゴミ袋が隅にうずくまり、脱いだスリッパはちぐはぐな方向を向いて床に置かれている。  同じ一人暮らしの家とくらべても、西田の家の片付き具合は完璧に思えた。 「何か言いたいことでも?」真琴の視線を追った円が言う。 「いえ、別に!」  両手を振る真琴に円はどこか含みのある笑みを浮かべると、「けどまあ、たしかに男やもめにしては西田さんの家は綺麗だったよね。だからかな、違和感もあった」  真琴もそれを感じていたが、その正体まではわからなかった。首を傾げる彼女に、円は手元のカップを持ち上げてみせる。 「これはギンさんが遺してくれたものなんだけど、こうやってまだちゃんと使えてる。家事をまったくやっていなかったのなら話は別だけど、西田さんの家でも奥さんが生前使ってたものがあるはずなんだ」  真琴は頷いた。たしかにリビングから見える台所には大きな食器棚が置かれており、ガラス越しにその中身も見えた。 「ところが西田さんが出してくれたのはペットボトルのままのお茶だった。それも常温のね」 「冷たい飲み物が苦手なんじゃないですか? うちの母もそうですし」 「もしそうであっても、あれだけ整然としてればコップの一つぐらい用意するのもわけないはずだ。けど、彼はそうしなかった」 「それはほら……あの性格だから、私たちに気を遣うのが面倒だったのかも」 「毒吐くね、結構。もちろんその可能性もある。けど、そうじゃないと思うんだ」 「どういうことですか?」 「西田さんがわからなかったのはコップがしまってある場所じゃなくて、それを片付ける方法だったんじゃないかな?」首を傾げる真琴に円はこう続けた。「つまりあの家には片付けについてのルールみたいなものがあって、西田さんはそれを知らないんじゃないか。そう思うんだ」  たしかに多くの家庭はそれぞれ決まり事をもうけているものだ。それは電気をつけっぱなしにしないとか、脱いだ服を裏返したまま洗濯に出さないとかの些細だが不可欠なもので、真琴の家にも存在していた。  前に父親がよかれと思って食器を洗ったとき、母親に文句を言われたことがあった。彼女の言い分によると、フライパンなどの油を扱う食器用のスポンジでグラスを洗うのは御法度なのだそうだ。  父親は憮然としながらもそれに従った。自分がいくら不満を示そうと、台所のルールはその場所の主である母親が決めるものだということを承知していたからだ。 「西田さんは奥さんが亡くなる前の決まり事を破らないようにしてるってことですか?」 「かもね。あるいは、奥さんに代わって新たにルールを決めた人物がいるか。いずれにせよ、その探偵には西田さんの交友関係も洗ってもらおうと思うんだ。もちろん貸金庫の契約がないかどうかの裏取りのほうが優先だけど」 「でも、貸金庫は西田さんもないって言ってましたけど……」 「何か理由があって嘘をついてるかもしれないだろ。この仕事の鉄則としては、自分の目で見るまでは物事を信用しないってことだ」  過去を覗き見る円が口にすると、その言葉にはより説得力があった。
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