Ⅳ 思い出と宝石

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「地道なことが続きそうですね。ああ、もう! 過去視ができればすぐに解決できるかもしれないのに! ねえ、円さん。西田さんを家の外におびきだすなりなんなりして、その隙にできませんかね?」 「過去視を? どうやって誘い出すの?」 「前に読んだ小説だと、発煙筒みたいなものを使ってましたね。それを家に投げこんで、驚いた家主が外に飛び出していなくなったところを狙って主人公たちが探し物をするんです」 「驚いた」円はテーブルに頬杖をつくと、「威力妨害に不法侵入か。犯罪にかかわりそうになったら止めてくれるって言ってた子が、ね」 「たとえ話ですよ! 私だって本気でやろうなんて思ってません。でも、多少の無理をしてでも過去視をしなきゃいけない場面があるんじゃないですか?」 「それも一理あるけど。あんまり過激な発想なもんだからさ」  自分がからかわれていることは、円の口の端に浮かんだ笑みからもよくわかった。それから彼女は真琴が向ける抗議の視線をかわすように虚空を見つめると、ぽつりと呟いた。 「この一件、誰が善人で、誰が悪人なのかな……」 「え?」  言葉の意味がわからずそう訊ね返したが、円はただ肩をすくめるだけだった。 「とにかく当面の計画としては、探偵の身辺調査の結果を待ちながら、西田さんの家で過去視ができる隙を狙おうか。早速明日、依頼の電話をしてみるよ」 「それ以外は何もしないんですか?」 「いまのところはね。あとは手がかりになるかもしれないからってアルバムを借りられたから、いちおうそれを調べることはできるかな」 「あの……それじゃあ提案、というかお願いなんですけど」真琴は顔の横まで手をあげて言った。「私、ここに通ってもいいですか?」 「どうして?」 「だって円さんの食生活見てると、いつか身体壊しそうで心配なんですもん。掃除とかもしてあげたいし、どうせ学校行ってなくて時間もありますから」  円は椅子の上で身体ごと顔を横に向けると、頭を抱えるように頬杖をつきなおした。それから懇願する真琴にちらりと視線を投げかけると、ため息まじりにこう言った。 「わかったよ。呼び鈴を鳴らしてね。留守にしてなければ出るからさ」  頷くそばから真琴の笑顔が広がっていく。円と話してからというもの、腹を立てたり呆れたり、かと思えば憮然としたり嬉しかったりと忙しい。だがその感情の七変化は真琴に充実感をもたらしてくれた。  やがて二人はどちらともなく壁にかかった時計を見るようになった。口にはしなかったが、今日のところはこれてお開きであることをお互いに承知していた。 「じゃあ、私はそろそろ」  真琴が立ち上がると円も椅子を離れて台所に向かった。それから、あらかじめ洗って乾燥しておいたプラスチック容器を手に戻ってくる。 「おいしかったよ。お母様によろしく」円は容器を真琴に差し出すと、「何もお返しがなくてごめんね」 「気にしないでください。母もそう言ってましたし、好きでやってることですから。それに、いつも沢山作るからどうしても余りがちなんです」  言いながら受け取った容器を紙袋にしまおうとしたとき、折りたたんだエプロンがふたたび目に入った。洗いざらしで汚れ一つないその生地を見て、真琴はある決心をかためていた。  今回円は、玄関先まで見送ってくれた。その姿が生前の明日原ギンと重なる。彼女もまた、幼い頃の真琴をよくそうやって見送ってくれたものだ。  両親とも一人っ子でおじやおばがいない真琴にとって、ギンや円は言わば斜めの関係だと言えた。面と向かって叱りつけるわけでも猫かわいがりするわけでもない。友人のような横同士でも親子のような上下でもないつかず離れずの関係性は、それでいてお互いを一個人として認め合えるような信頼を秘めていた。  円のことは友人だと言ったしそう感じてもいたが、真琴はこちらの関係性のほうがお互いをうまく言い表しているように思えた。  生まれた新しい絆が、遠からず終わりを迎えることを思うと胸が痛んだ。せっかく知り合えたのに続かないことがわかっているのなら、本格的な愛着を抱く前にさっさと手放してしまったほうがいい。  真琴にはそのことがわかっていたが、円と過ごした今日一日を思うと踏ん切りがつかなかった。すでに自分たち二人が強く結びついていることを感じていた。引き剥がそうとすれば激痛を伴うほどに。  けれども、その日が来るのはもう少し先だ。まずは西田からの依頼を解決しないといけないし、そのあとに真琴の順番がまわってくるとも限らない。執行猶予を与えられるのなら、せめてそのあいだは甘い時間に浸っていたかった。  懊悩を胸に秘めたまま、真琴は帰宅するなり母親にこう訊ねた。 「今日持たせてくれた煮物って、どうやって作るの?」
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