Ⅳ 思い出と宝石

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「さすがは六黒氏、毎回いい意味で渋いチョイスだな……あ、これなんか入団六年目の谷久保じゃないか!」  鼻息も荒くまくしたてる東雲に対して、円はコーヒーカップを傾けた。  真琴が眉根を寄せていると、探偵が一枚のカードを突き出してくる。そこには緑色のヘルメットを目深にかぶり、バットを担いだ野球選手が写っている。  トレーディングカードというものだろうか。困惑から眉間のしわをさらに深くする彼女に対して東雲はこう続けた。 「ほら見てよ。この選手はシーズンがはじまってすぐにメジャーに移籍が決まってさ。この球団に移籍して一年目っていうのもあって、このユニフォームで試合に出たのも片手で足りるぐらいだったんだ。当時は契約違反だなんだって批判も浴びてたな。知らない、谷久保選手? 当時ドラフト一位の鳴物入りで新日本ガッツに入団したんだけど」  数年前、まだ小学生の頃に同じクラスの男子がそんなことを騒いでいた記憶があった。父親が見ていたニュース番組でも話題になっていたかもしれないが、さして興味もなかったので記憶も定かではない。 「ストップ」昔を思い出そうとする真琴と、それに詰め寄る東雲とのあいだに割って入るようにして円は言った。「真琴ちゃんを困らせないでもらえるかな。それと、報酬に満足したなら早いところ見せてほしいんだけど」 「こりゃ失礼……洗いなおしてみたけど、やっぱり貸金庫の契約はなかったよ。旦那の名義でも、奥さんの名義でも」受け取った封筒を開いて書類に目を通しはじめた円に東雲が言う。「二人には地方で暮らす息子が一人いるんだけど、彼名義でも契約が交わされた形跡はなかった」 「依頼人の言ってたことは本当だったか」と、円。「ほかに何かわかったことは?」 「依頼人の生活は孤独なもんだね。まあ、いまどきめずらしくもないんだけど。息子が帰省するのは年に一回程度で、それもほとんど日帰りだ。いっぽうで奥さんのほうは生前それなりに充実してたみたい」 「充実? どういうふうに?」 「報告書にまとめてあるよ。旦那のほうはその頃から寂しいもんだったみたいだね。隣近所との交流も希薄で、ときどき顔を合わせたときに挨拶する程度。来客と言えばせいぜい月に何度か専属のハウスキーパーが訪ねるぐらいだし。ほら、あのあたりは高級住宅地だからそういう情報もまわってるみたいだよ。どこどこの業者の評判がいいとかさ」 「そんなものを雇う余裕があるようには見えなかったけどな」 「亡くなった奥さんとの思い出が詰まってる家だから、大切にしたいんですよ。今回の依頼だってきっと、祝ってあげたい気持ちがあるからだと思います」  それまで二人のやりとりに耳を傾けていた真琴がそう口を開くと、円と東雲が顔をあげてこちらをまじまじと見つめてきた。その視線にどこか違和感をおぼえながらも、彼女は身振りを交えてこう続けた。 「あ、いや! 祝ってあげたいってのはですね……その、西田さんが言ってたじゃないですか。探してるアクセサリーにはブルームーンストーンが使ってあるって。あのあとに調べてみたんですけど、あれって六月の誕生石らしいんですよ。西田さん、奥さんの誕生日を祝ってあげたいから今月中の解決を望んだんじゃないかなって」  説明を重ねているあいだ、円は報告書に、東雲は届いたナゲットとポテトに目を向けることなく真琴を見つめていた。 「すいません、こんなのお二人は最初からわかりきってることですよね。なんかちょっと私も参加したくなっちゃって……」 「まあ、そう考えるのが自然だよな」西田が揚げ物を頬張りながら言う。「誕生日であろうとなんであろうと、祝ってもらえばなんだって嬉しいもんだし。夫婦っていうのは愛し合ってしかるべきだ。普通はね。まあ俺、独身なんだけど」  真琴は首を傾げた。東雲の返答から同意ではなく含みを感じたからだ。助けを求めるように隣を向いたが、円は報告書をめくる手を止め、その文面を食い入るように見ていた。 「ここに書いてあることに間違いはないんだね?」顔をあげることなく円が訊ねる。 「そりゃ、俺もプロですからね」  そう言いながら東雲が手を伸ばした揚げ物の入ったバスケットを、円は自分のもとへと引き寄せた。それからさきほど探偵がやってみせたように、報告書を顔の横に持ち上げる。 「たしかなんだね?」 「保証するよ」  一度は空を切った手をふたたび伸ばし、東雲はバスケットを円から奪い返した。 「ありがとう、真琴ちゃん」円が言う。その口元には、普段以上にはっきりと笑みが浮かんでいた。 「私が? 何かしました?」  円は頷くと、「過去視でどの時間を見るべきか、なんとなくイメージがつかめたよ」  円はそう言って報告書を真琴に渡すと、煙草を吸ってくると告げて席を立った。窓ガラスを雨粒が叩き、東雲ががつがつと食事を続けるなかでその内容に目を通していく。  やがておぼろげながらも、真琴の頭にも円と同じようなイメージがつかめてきた。
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