Ⅳ 思い出と宝石

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 いくら梅雨とはいえ、まったく晴れ間が覗かない日々が続くというわけでもない。西田家への二度目の訪問は、そうした雨雲の休暇と重なった。 「それじゃあ、行こうか」  相手にというより自分に語りかけるようにして、円は西田家の呼び鈴を押した。真琴も顔に浮かんだ緊張を、家主が応対に出るまでに拭い去ろうと必死だった。結局その努力は、強張った顔の上にひきつった笑みを貼り付けるぐらいのことしかできなかった。 「ああ、いらっしゃい」  ドアを開けて応対する西田に挨拶して玄関に入る。上がり框に立つ彼がその先にある階段の行く手を阻んでいるように見えるのは気のせいではないだろう。  そのまま誘導されるようにリビングへと通された二人は、先日契約をかわしたときと同じようにロウテーブルの前に横並びで座った。 「それで? もしかして場所がわかったの?」台所の戸棚の前に立った西田が訊ねる。 「いえ、それはまだです」円は言った。「ただ興信所に調査を依頼したところ、西田さんが仰るように奥様は生前貸金庫の類いは一切契約されていなかったようです」  西田が一瞬動きを止め、この日も取り出しかけたペットボトルのお茶をしまうのを真琴は見逃さなかった。 「それは、俺もそう言ったじゃないか。まさか、それを調べた探偵を雇った料金もこっちに請求してくるんじゃないだろうね?」 「ご心配なく。最初に提示した金額以上は請求いたしませんので。契約書にもそのように書いておきましたが?」 「どうだかね……で、今日はわざわざそれだけを言いにきたの?」  円は首を横に振ると、「調査結果からやはりお探しのものはお宅にある可能性が高いため、本日はあらためて確認させていただきたくお伺いいたしました」 「まいったな、俺もそんなに暇じゃないんだけどね。今日だってわざわざ予定をずらしたんだ」 「そこをなんとか、お願いいたします」  口調こそ頼みこむようではあったが、円の態度には毅然としたものがあった。何が彼女をここまで突き動かすのだろう。隣で見つめていた真琴にそんな疑問がわく。  あるいはこれが何かの職業に就くということなのかもしれないが、円は仕事よりももっと別の動機を持っているように思えた。ただ一つ言えるのは、彼女がどんな依頼にも全身全霊の姿勢で臨んでいるということだった。そのことは、息を切らせて迷い猫を追う姿からもよくわかった。真琴が西田に対して不満を抱いているのも、そんな彼女の苦労も知らずに難癖をつけてくるのが許せなかったからかもしれない。 「私からもお願いします!」その感情がはたらいたからか、円に倣って真琴もそう頭をさげた。 「わかったよ……」西田がため息まじりに言う。それから顔をあげると、がしがしと頭の後ろを掻いた。「じゃあちょっと待ってて。トイレに行ってくるから」 「はい、ごゆっくり」  そう言ってリビングから西田を送り出した真琴に、円が視線を向けてくる。 「ちょっとぐらい皮肉を言ってもいいじゃないですか。それに、チャンスですよ」真琴は肩をすくめてみせた。 「たしかに僥倖と言えるかもしれないけど、仕事は仕事だよ。人柄がどうであれ西田さんは報酬も払ってくれてる依頼人なんだ」 「そうですね、ごめんなさい」 「とにかくはじめよう。せっかくだし、まずはここから見てみようか」  立ち上がってパーカーの袖をまくりあげると、左手首に巻いた懐中時計が姿をあらわす。円は続けた。 「けどまあ正直、ほんの少しすっとはしたかな」  言いながらこちらを向くと、円はいたずらっぽい笑みを浮かべた。過去視を起こすために鳴らした指の音は、例によって急速な増大をはじめた。
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