Ⅳ 思い出と宝石

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「ここも手がかりはなし、か」円が自分の首筋をおさえながら言う。 「奥さん、普通の主婦って感じでしたね。こう言っちゃうとなんですけど、あんなに派手なパーティやネックレスは不釣り合いに思えます」 「そうだね。前に真琴ちゃんが言ったたとえ話みたいだ」 「系統の違う子たちがグループ作ってるってやつですか?」 「そう。あの写真の奥さんもこの家と同じで、無理な背伸びをしてるみたい……おっと、なるべく切羽詰まった感じてよろしくね」  そう言って円は首を傾げる真琴を置いて猫のような忍び足で廊下を歩くと、そのまま音もなくトイレに入った。  直後にリビングから西田が顔を覗かせる。  一瞬の間こそ空いたものの、真琴はすぐさま前傾姿勢をとるなり腹を抱えたまま小股気味にトイレへと近づき、ドアをノックした。 「ま、円さぁん。まだですかぁ?」  差し迫るものがないにもかかわらず、羞恥心で震える声が演技に真実味を帯びさせた。背後で西田が引っこむ気配がしたかと思うと、次いでリビングのドアが閉じた。それから、ご丁寧にも水を流す音とともに円がトイレから出てきた。 「恥ずかしい……」燃えさかる石炭のように熱く、赤くなった自分の頬に振れながら真琴は言った。「恥ずかしくて死にそう……」 「人間、恥なんかで死にはしないよ」  慰めなのかなんなのかわからない言葉をかけ、円はふたたび廊下の突き当たりに陣取った。真琴も肩を落としながら、そのあとに続く。 「さて、じゃあ今度はさっきよりもう少し先の時間帯を狙ってみようか」 「この恥ずかしさを帳消しできるようなものを見せてほしいです」 「どうかな。前にも言ったように本命は二階だ。それに当たるも八卦、当たらぬも八卦。成果があげられるかどうかは運次第だろうね」 「そんな……」真琴は両手の指を組むと、かたく目を閉じた。「来い! 大物!」 「大物?」  それ以上の質問は重ねず、円はこの日三度目となる過去視をはじめた。  周囲を取り巻く気配に変化を感じた真琴が目を開けると、はたして西田の妻が廊下の片隅でうずくまる後ろ姿が見えた。壁に添えたほうとは反対の手で胸のあたりをおさえているようだ。息苦しいのだろうか、全身を小刻みに震わせるなかで彼女の肩は荒々しく上下していた。  これはもう起こったあとの出来事だ。そのことが頭でわかっていながらも、真琴はもどかしい気分を味わっていた。  一瞬、救急車を呼ぶべく携帯電話を取り出そうとさえ思った。だが、通報したところでどう説明するというのか。三年半ぐらい前に瑞野在住の女性が自宅で胸をおさえて倒れそうになっているから救助してくれとでも言うのか? それが妄言とられることは明白だったし、そもそも電話が正常につながるかどうかもわからない。  それでも真琴は、玄関を開けて過去の西田が姿をあらわしたのを見て安堵せずにはいられなかった。 「どうした?」  西田は妻に駆け寄ると、焦りを顔ににじませながらそう訊ねた。それからさらにいくつか声をかけたあと、立ち上がった彼はポケットから携帯電話を取り出した。  救急車を呼ぶのだ。希望を見出した真琴は西田がボタンを押すのに合わせて思わず頷いてしまった。だが、それは四度目を前に止まってしまった。携帯電話では、一一九番を押したあとで通話ボタンを押さなければ相手にはつながらない。だが西田はその最後の段階になって、人差し指を宙に浮かせたまま制止したのだ。  その顔を見た真琴の背筋を冷たいものが走る。西田はまるで能面のように、なんの表情も浮かべていなかった。そこからは妻を助けようとしていたさきほどまでの焦りや必死さが流れ落ちており、その裏にある感情の凪とでも言うべき状態があらわれていた。  西田がその顔を見せたのはほんの一瞬のことだったが、真琴はたしかにそれを見た。仮に同じ時間帯をもう一度過去視で見れば真偽をよりはっきりさせることができるかもしれないが、その必要はなかったし、人があんな顔をするところをまた見たいとも思わなかった。  それから西田は通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てたところで指を鳴らす音が響いた。 「円さん、いまのって……」 「探したいものとは違ったけど……とにかく西田さんと話すときはその顔はしないようにね」 「わかりました」言いながら真琴は自分の頬を両手で覆った。  現在の時間に戻ったあと、真琴は円に促されるままトイレに入った。  ほかの部屋と同様に薄暗い個室の中、彼女の脳裏では西田のあの横顔がいつまでも焼きついて離れなかった。
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