Ⅳ 思い出と宝石

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「チャンスですよ、円さん。いまのうちに過去視を――」  円の様子を目に真琴は思わず口を噤んだ。彼女は東雲の協力に気づいた様子すらなく、床にへたりこんだままだった。浅く繰り返される呼吸はどこか熱っぽく、顔も青ざめている。 「円さん?」 「ああ、ごめん」おもむろに顔をあげて答える隣人の声からはその見た目どおりの疲労がにじんでいた。「そうだね、行こうか」  立ち上がった円がふらつく。真琴が駆けつけて支えていなかったら、そのまま倒れていたかもしれない。 「大丈夫ですか?」 「結構しんどいけど、なんとか平気だよ」 「そんな……私が無茶な作戦立てたせいで……やっぱりここは出直して――」 「駄目だ」普段以上に気だるげながら、はっきりとした声で円が遮る。「このチャンスを逃したら次はないかもしれない。それより、真琴ちゃんこそ大丈夫?」 「私はなんともありません。前みたいに、気絶することもなさそうですし」  円の身体を支えながら、真琴は自分が気を失ったときのことといまの彼女の様子とを比較していた。  自分が気絶したときはまるで吸いこまれるように急速に意識を失っていったが、いまの円の状態はもっと違うものに見えた。これは個々人の特性や体質がそうさせるものなのか、それとも過去視に対する一種の抵抗力の違いによるものなのか。だが真琴はこれほどまでに疲労をあらわにしている円に対して、自分の体調がなんともないことに違和感をおぼえてもいた。  しかしいまはその疑問を解消している余裕はなかった。真琴は円の手を引いて部屋の入り口まで移動すると、彼女をすぐそばの階段の手摺りにつかまらせて一人で向かいの部屋に入っていった。そこには正面玄関に面した窓があり、東雲の案内で西田が外に出ていくところを見ることができた。  先日のラフな格好とは打って変わって東雲はスーツを着ており、玄関先から少し離れたところに停めてある白いハッチバックの商用車へと向かっていた。あれでは宝石商というより仕出し弁当の出入り業者のようだ。東雲が馬脚をあらわすのは時間の問題に思えたが、そうして稼いでくれたなけなしの機会を無駄にはできない。  廊下に戻ると、円がパーカーの左袖をたくしあげているところだった。 「いけますか?」寄り添うようにして円を支えながら、真琴は訊ねた。 「なんとかね。真琴ちゃんも気を付けて。同行者にも影響があるかはわからないけど、くるときはいきなりくるから、これ。きつくなったらいつでも言って」 「言いません」 「真琴ちゃん……」 「私、この作戦を思いついたときに決めてたんです。円さんの過去視に最後まで付き合おうって。手がかりを見つけるための目は多いほうがいいですし、言い出しっぺが楽な役回りだなんてずるいじゃないですか。ていうか、こんなに顔色悪くした円さんを放ってなんかおけませんよ」 「ありがとう」顔色こそすぐれなかったが、円は柔らかな笑みを浮かべてみせた。「それじゃあ早いとこ済ませちゃおうか」  二階には全部で部屋が三つあった。真琴たちが立っていたのは階段に一番近い部屋の出入口付近で、そこは西田が書斎として使っている場所だった。そのため過去視で西田の妻があらわれたものの、掃除機をかけている姿しか見ることができなかった。 「やっぱり、闇雲にやっても駄目か……」  過去視を解いた円の表情が暗くなる。いっぽうで、血の気が失せたその顔色はいよいよ紙のように白くなっていた。 「あの、円さん」 「何?」 「奥さんがネックレスをしてる写真ってあの一枚だけでしたよね?」 「そういえば、そうだね」 「もしも……もしもですよ。西田さんもあのネックレスを写真でしか見たことがなかったとしたら、奥さんはずっとそれをどこかにしまいこんでるはずですよね。たとえばネックレスをつけていたのが、ここに越してくる前だとしたら……」  疲れきっていた円の顔に、かすかに赤みがさしたように見えた。 「どこを見るかじゃなくて、いつを見るか、か。そうだね、それが過去視の基本だ。ありがとう、思い出せたよ」  行ってみよう。円はそう言って、ふたたびその場で指を鳴らした。周囲を包むオーロラの輝きは衰えるどころか、その七色の光をさらに増幅させているように見えた。  西田が戻ってくるまで、あとどれぐらいの時間が残されているのだろう。目的地である時間帯に移動しているあいだ、真琴は落ち着かない気持ちでいた。  だが、いまもっとも心を砕くべきなのは円の体調だ。違う側面から迫りつつある限界に、彼女は焦りを感じていた。
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