56.人心地の思い

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56.人心地の思い

私が小さいころ夢見た、王子様が私をどこかの宮殿に連れて行ってくれるというシナリオはあまりにも非現実的だった。ずっと年下の優飛君との空想の初恋も、符吹との熱烈な現実の初恋も失った。使命とさえ思った理科の教師の路を続けることも出来なかった。代智との結婚生活も、平也の子育ても順調とは言えなかった。未咲の里親としては、相当な悪戦苦闘だった。そう思うと、私の人生は、挫折の連続と言わざるを得ないかもしれない。世間に認めらるような功績は、何もない。多くの人、特に男の人は、功績、名誉、富なんかを求めると思うけど......、そのために、強がって、自分の主張や期待を無理やり相手に押し付けたりするのは、良くないことだ。そして、お買い物の気持ちに気付かずに一生を終えるとしたら、人生、悲しい事だ。可哀そうだ。 いずれにしても、私の生涯で一番の転機は、やはり、用務員の白羽さんからあの原稿をもらった事だろう。その後も、いろいろと気づかせてもらった。それ以来、無力の私が、必死で模索してきた路というのは、結局、自分の理想や、考えを他人に押し売りすることではなかった。自分の、良い悪いと言う価値観にとらわれずに、相手の、大切にしているものを買う、お買い物の日々を過ごすことだった。そう、お買い物の気持ちは、相手の言いなりになることでもないし、単なる強がりよりも勇気がいることだ。それに、そのために必要な、心身の貯蓄もしなければならない。私はけち臭い田舎者のためか、お買い物のための資金作りもなかなかうまくはいかなかった。例えば、符吹を失っていく途中の私はもうヨレヨレで、とても符吹の大切なものを買ってあげられる資金なんか作れる訳はなかった。それでも、どうやら、人生を通して、沢山とは言えないが、幾つか、たいへん貴重なお買い物ができたという気がする。 それに、私は、しまりの悪い膀胱のおかげで随分と恥ずかしい思いをしてきた。でも、私にとって、それは、良いことでも、悪いことでもない。ジョージが言ったように、自然な事だったんだと思う。それが、切っ掛けで道が開けたことさえある。それから、今まで、私が他の人の事を買ってあげないと、と必死に努めてきたつもりで、気が付かなかったことがある。それは、こんなお漏らし娘をそのまま受け入れてくれた人たちがいると言う事だ。どうやら、私の方こそ、みんなに、随分と買ってもらったことになる。つまり、数々のお買い物が出来るだけの資金を作れたのは、みんなのおかげだったのだと思う。そうそう、誰も忘れてはいけない。私の父親、婆ちゃん、高校時代の理科の先生、灰床夫妻、黒迷君、凪砂さん、メリさん、志瑞さん......、そして、広大で複雑な大自然も。みんな、ありがとう。 そして今、私の残りの資金全部を使い切って、もう一つお買い物が出来そうだ。私の最後のお買い物は......、私自身。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【この小説はフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。】
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