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 記憶にあるより少し寂れてはいるが、変わったと言うほどではないな。  久しぶりに立った故郷の地での感想が、これだった。  この地で幼少期を過ごし、勉強に明け暮れた青年時代を送ったエンだったが、そろそろその歳月よりも、今の生活が長くなってきた頃合いだ。  それでも、故郷と思えるくらいのその地を見れば、何かしらの感傷が芽生えると思ったのだが、そんな軽い感想しか浮かばなかった。  仕方がないとは思うが、なんだか寂しいな。  そうしんみりとしながら、それとなく周囲の様子を見回し、ついでに雑多に置かれた売り物の品を物色する。  この地を治める国の主が、そろそろ力を弱めてきているせいなのか、方々で反乱分子が集い始めていると言う話はあった。  この辺りは国の都からは遠く、その煽りを多く受けてしまっているらしく、品の値が昔より大幅に上がっていた。  売る側も、売れそうなものを何とかかき集めて並べているらしく、その値にしては粗末なものが多い。  矢張り、酒以外を仕入れるのは、山の幸に頼るしかないようだと心の中で断じ、エンは連れを見下ろした。 「……」  だが見下ろした先は無人で、慌てて辺りを見回したエンは、一つの露店の前で、その連れを見つけた。  自分のお下がりのこの国の衣装を身に着けた、小さな体の人物だ。  傘を深くかぶった連れは、何故か見慣れぬ籠を腕に抱え、露店の前に飾られた巻物の絵を、首をかしげて見つめていた。  絵を見たことがなかったかと、近づいたエンもそれを覗き込むと、不思議な光景がその絵の中にあった。  全身に縞模様のある大きな獣が、山林のある川の中で、鯉を銜え込んでいる珍しい絵だ。 「? 虎だったか? 鯉を生け捕りにして食らうのは?」 「川に入って魚を捕るのは、熊だと思ってた。猫も、捕るんだな」  素直な呟きに返したのは無感情な声だったが、聞きなれたエンの耳には、驚きが混じっているのが分かる。  素直な感想なのは分かるが、一つだけ間違っている。 「お前、虎を見たことがないのか?」 「虎? 黒い縞の入った獣のことだろう?」  不思議そうに言われ、エンは改めてその絵を見つめた。  墨絵で書かれたそれは、縞模様を塗りつぶしていない。  風景の黒いところや影は、黒く塗られているから、全体的に白い獣に見えた。 「あ、ああ、それな、黄金色の縞模様の猫らしいぞ」  露店の店主が、何やらどもりながら話に割り込んだ。  先程まで文句なく連れを立ちつかせていたのは、どうやら連れの容姿に見惚れていたかららしい。  普通に会話をしているところを見て、我に返った店主は、その間を取り繕うように絵の説明をしてくれた。 「これはな、役所の先の偉い方が、隠居後に安い値で売って下すったものだ。この他にもほれ、これにも同じ色合いの猫が描かれてるだろ? ご隠居の友人が、幼い頃見た猫を、ずっと愛でて描いておられるんだ」 「猫……風景の草木を見ると、随分大きく見えるんだが……」 「小さい頃の記憶を掘り起こして描いたようだと、そうおっしゃっていたよ。その時は、大きく見えたんだろうなあ」  他の絵の猫は、そう大きくはないのに、なぜその絵の猫だけ虎並みの大きさなのか、疑問に思ったエンに、店主は自分の考えを言って目を細めた。 「怪我で役を退かれたときは、本当に残念だったよ。お子がお子だからなあ。あれを止めてくださってた方が、奥に引っ込んでしまわれたから。それでも時々こうして、こっそりと売り物を、安くで譲ってくれるんだ」  元役人宅にある、古着や隠居した役人の友人が、手慰みに描いた絵や古くなった家具などが、この辺りの露店では、時々売られていると言う。  そういう品は、高価なものが多く、それなりの値が付くのだと店主は語った。 「まあ、そろそろ、品は尽きるのではと、心配してるんだがね」  初老の男は困ったように顔を上げた。  エンの立つ背後で、喧騒が沸き上がっている。  権力をかさにしている者が蔓延る地では、耳に馴染む喧騒だが、エンはついついうんざりと溜息を吐いた。 「そのご隠居は、もう力が及ばないんですね?」 「ああ、ご高齢なんだよ。止めるほどのお力が、もうないんだ。だからこの数年、野放し状態だ」  こちらに売られる予定だった品も、息子二人の手によって、別な場所で使われているようだと、店主は諦め顔だった。  最近描いた絵も、いつの間にか消えていたと使いに謝られ、ここにある物は下絵程度に描かれていたのを、手直ししたものらしい。 「ご隠居が、きちんと世話をされているのならば、まだ救いがあるのだが。下人の様子を見たら、そうも見えんのだよ」  このご時世でなくとも珍しく、そのご隠居は慕われているらしい。  エンがこの辺りに住んでいた時は、今より少しマシ程度だったから、その後から今日ここに来る前のその役人が活躍している間は、この地も落ち着いていたのかもしれない。
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