世界のなりたち

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世界のなりたち

 世界には広大な海に隔てられたいくつかの大陸があった。  その中で最も大きな大陸がこの話の舞台となる。  大陸西岸からは海が内陸深くまで抉り込み、外部大洋が認識されて以降そこは地中海と呼ばれるようになった。  文明はこの地中海沿岸から始まったため、長い間、そここそがこの世界の人々にとっての海だった。  古代、その沿岸に発生した都市国家ロンバルドが始まりだった。  大陸西方を支配し、ついに皇帝の治めるロンバルド帝国となった。しかし広大過ぎた帝国は後継ぎ問題などで次第に分裂、弱体化していった。  今やその後継国は残っているものの、ロンバルド自体は消滅している。  一方、大陸東方は気候も湿潤で土地も豊かなため人口が爆発的に増えていた。しかしそれは国家を乱立を招き、血生臭い戦国時代が長年続く要因になってしまった。何十年か何百年か、ようやく全域統治されたものの、そこからもこの舞台の時代までに何回も王朝と国号が代わっている。  そのように西方と東方が別々に繁栄しだすと、当然その間で交易を行おうとする人々が現れた。  と言っても巨大大陸の西と東、間には砂漠も険しい山脈も立ちふさがっている。  これが西方と東方、それぞれで文化が発展することになった要因だ。そこは近年になるまで歴史に出てくることのない空白地帯となっていた。  しかしその裏では、長年、東西の交易路を模索していた人々がいた。  そしてその確立と共にやっとその場所が歴史に記されることになる。  ただ道が繋がっても大陸の西と東、そこの行き来は人々の人生をすり減らした。  よりどころとなるものが欲しくなるのは当然だろう。  そうして要領のいい彼らの間で、商人と土着信仰の良いとこ取りの宗教・アスモン教が起き、それが周辺民族に支持され結束し、ついにロンバルドの地中海南東沿岸が西方でも東方でもない国として独立した。  これがこの話の舞台となるエルジア国の始まりである。  国主はアスモン教を広めた一族の末裔で、最初の王朝はアスモン朝とされる。東方と異なりエルジアは国名を変えないまま、王朝だけが何度か変わっていくことになった。  それでも東西の間にある大国として、交易民を保護することで確固たる地位を築き、南方にも領土を獲得することで、やがて大帝国となっていった。  西方ではロンバルドから分裂した国々がようやく落ち着きを見せ始め、一部は北方にも進出を始めていた。東方帝国は時々内乱を抱えながらも繁栄を続け、中東西ではエルジアが幅を利かせていたそんな時代、事件が起こる。  北方内陸のデレクィ人から英雄が生まれ、ツンドラに点在していた少数騎馬民族を統一し大進撃を開始したのだ。  デレクィ人はまず、進出を始めたばかりで混乱していた北西のロンバルド諸国を滅亡させ、そこにデレクィ王国を建国した。  ところがそれまで部族単位で遊牧生活を送っていたデレクィ人に政治力は皆無で、王国は即座に統率できなくなってしまった。その混乱は、ただでさえも大帝国の分裂で弱体化していた西方を、さらに細かい国に分けてしまった。  デレクィ人が引き上げた後も、西方は、東方の戦国時代さながらに小国がせめぎ合う世界になってしまったのだ。  しかし既に西方は、原始的な時代からは脱却していた。  そのせめぎ合いは戦争だけでなく、また襲って来るであろうデレクィ人に対する防衛の必要から互いに技術を競い合うことにもなった。  そして西方諸国は一気に近代化を果たしたのである。  このような背景から、この時代、ロンバルドが分裂した多数の西方諸国と、東方の大国・(しゅ)が文化の中心となっている。  エルジアもまた商人の行き来で栄え、西方と東方が合わさりながらも独立した文化を花開かせていた。
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