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開戦のいきさつ
エルジアは貿易で潤う豊かな国となったが、アルジャジール三世の時代に疫病に見舞われ人口が激減する。後を継いだのは息子のジャーミルで、彼は飛躍的な復興、さらにその中でも領土を拡大した功績から、ジャーミル大王と呼ばることになる。
北方に戻ったデレクィ人は周囲の部族から時折略奪など行いながら細々と存続していたが、ワグナスィムフ六世(最初に世界侵略を行った英雄の名が代々王の名として受け継がれる)の時代に突如エルジアへの遠征を決行した。そのとき隊を率いたのは下級兵士トッガイで、それは家族を中心としたような小隊でしかなかった。当然そんな部隊では侵略どころかエルジアにたどり着くことも出来ず、一家で交易路付近を彷徨うことになってしまった。
ところがその間、ロンバルドから独立し極寒の北方で急激に勢力を伸ばしていたノーザンド帝国が南進し、内陸のデレクィ人の国を滅ぼしてしまった。ワグナスィムフ六世は戦死、子供だった息子のヨウタイ王子は捕囚の身となる。
朱の国境付近で迷走していたトッガイは、そこを行き来する商人からその情報を得ることが出来た。急ぎデレクィに戻ると、無謀にも北の大帝国に戦いを挑んだのである。
帝国と一家族、あまりにも規模が違う。
本来であれば後年の歴史書になど残るはずもない戦いだった。
しかしワグナスィムフ六世がトッガイ一族のみの小隊で遠征に行かせたことにはそれなりの理由がある。このトッガイ、何をしたのかデレクィでは英雄とされ、その一族一人一人が非常に強力な戦士だったのだ。不幸にもトッガイ自身は戦死したが、その息子、まだ十代だったガノドがなんとノーザンド帝国皇帝ニコラウスを倒してしまった。
これにより、絶対王政だったノーザンド帝国は瓦解し、ヨウタイ王子含む捕らえられていたデレクィ人が解放された。デレクィ人はノーザンド帝都を一通り荒らしたが占領することはなく、ノーザンドからの略奪を手土産に、デレクィよりさらに南、東方の朱との同盟を迫った。
朱は大国、それに対してデレクィは今や内陸の一遊牧民でしかない。同盟を迫れるような対等な間柄ではなかった。
しかしノーザンドという北の脅威に強力な一撃を放った彼らを、北の守りになるだろうと朱は厚遇したのである。
元々この時代にはデレクィ人と朱人の混血民がすでにかなりおり、朱側も彼らを受け入れることに今更ためらいはなかった。
デレクィの朱への併合であれば、との申し出をデレクィ側はあっさりと受け入れた。
この決断を行ったのは、ガノドに救出されるまでノーザンドに長年囚われていたヨウタイ王子である。
このヨウタイ王子、幼い頃から遊牧騎馬民族の強さを持っているにもかかわらず柔軟な考えの持ち主で、周辺諸国の事情についてもよく探っており、騎馬民族にしては破格の優秀さを持っていた。ノーザンドで彼が生かされたのも、傀儡目的だろうが、ニコラウスに惜しまれたからという理由があった。
ノーザンドでニコラウスを打ち取り、北の大国を単騎で脅かした英雄ガノドを連れていたとはいえ、朱の時の皇帝が彼を受け入れたのは、彼自身を非常に高く評価していたためだ。
その評価の高さはデレクィとの併合を祝って公主・連佳姫をヨウタイに与えたほどである。
実はこのレンカ姫もまた、皇太子だった兄が亡くなって以降、年老いた現皇帝の摂政を務めている才女で、ヨウタイとの結婚は彼女から望んだものだった。
朱は高度な文化レベルで安定した国を作っていた。時の皇帝も温和で穏やかな人物であり、国づくりにはその人柄が現れていたといわれる。
しかし彼は心労もなく穏やかに過ごすうち、長生きし過ぎてしまった。
子や孫が彼より先に亡くなってしまったのだ。残っていたのは後年に生まれたレンカ含む女子のみだった。
当然裏では次期皇帝の座を巡る政争が始まっていた。
この時代、女性の王位継承を認めていたのは西方の数国だけで、女性が虐げられていないにしろ朱もまたその伝統を残す国だった。摂政であってもレンカは跡目の候補にも挙がっていなかったのだ。むしろ彼女を排除しようとする動きが起き始める始末。
朱を大きく変えたいわけではない。
女性では皇帝の座に着けないとわかっていても、レンカは父の築いた朱を継ぎたかった。続けたかった。
そこに都合よく現れたのが遊牧騎馬民族の王子、いや、既にワグナスィムフ七世を襲名したヨウタイだったのだ。
屈強な彼が夫となれば政敵への牽制も十分、しかも彼の配下は少数とはいえ、いずれも朱の将軍レベルの猛者達ばかりである。
また朱の法では女性に皇位継承権はなくとも養子の男子には認められている。
婿養子として迎えられたヨウタイに、レンカにその座を譲りたかった時の皇帝もまた、これ幸いと彼に全てを譲り隠居を決めてしまったのだ。
ヨウタイはデレクィ伝統の王の名を捨て、朱風に煬黛と名乗り、配下のデレクィ達も次々と朱に帰化していった。
強固な政治体制を持つ朱を手に入れたヨウタイ帝は、今度こそ彼の父も望んでいたエルジア攻略に踏み切る。
その一軍の将はトッガイの一族である牙則とした。彼はノーザンド帝国攻略の立役者・牙人の兄である。
なお、これほどの大侵攻の将軍を何故ガノド本人にしなかったのかは、後年の歴史書には語られていない。
トッガイが一族を率いていた当時、ヨウタイ自身は父のエルジア攻略には反対だった。ワグナスィムフ六世は大国の間に挟まれながらも交易で栄えるエルジアが羨ましかっただけなのではないかと思う。
しかし朱の皇帝となった立場ではエルジアの攻略、滅ぼさずとも弱体化させることが必要だった。
近年のエルジアは大王が治めているせいかどんどん強硬的になっており、朱は西方との交易で、この国にいいように中間マージンを絞られている状態だったのだ。
皇后レンカとも意見が合致したため、ついにガオノル率いる大部隊を西に派遣するに至った。
これが、間もなく始まる朱対エルジア、開戦のいきさつである。
迎え撃つエルジア側がどうなっていたのか。
その中心である将軍、男装の姫ジャーファルがどのように生まれたのか、この物語はそこから始まる。
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