2-8.ジャーファルの軍

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 天幕が上がると外は既に黄昏時になっており、広間には赤みを帯びた乳白色のランプが壁際を等間隔に彩っていた。  西宮の広間は中央宮の大広間に比べれば四分の一程度の広さしかない。上座にも段差はない。両脇には来賓席が置かれているが、そこに招かれるのは将軍と同じかそれ以上の身分の者になる。  今回は右手に軍務官ムスラファン一派、左手には王太子アクバルが着いている。既に退屈を隠さないムスラファンは軽食をつまみながら水煙草をふかしていた。  アクバルは王太子の気品ある笑みを浮かべて大人しく座っている。その後ろには彼の衛士達が並び、それに続くように濃紺の中央宮衛士が並ぶ。右手後方にはこの場を整えた侍女達が、上座の若い将軍を見てぼんやりとしていた。ルアイが中央を突っ切ると慌てて給仕の準備を再開しだした。 「ジャーファル様、招集した者達を通してよろしいでしょうか?」  ルアイに聞かれ、ジャーファルは瞼で返事をする。  元々の門番役であるルアイの仲間が、やってきた者たちを順に広間に通す。  左手の扉が開き最初に入ってきたのは、戦術論の重鎮で軍高等教育機関の長を務めるバキル博士と彼の数人の連れだった。  ジャーファルの初となる軍儀は簡易の拝謁の儀のように始まった。  バキルは広間中央を進み、上座の前でアクバル、ムスラファンの順に頭を下げ、背後の者達と動きを合わせ一斉にジャーファルに臣下の礼をした。その後、彼だけ顔を上げ、ジャーファルと話の出来る位置まで近づき忠誠の言葉を述べる。 「この年でジャーファル様の臣下という栄誉を賜れましたことを嬉しく思います」 「頼りにしていますよ、先生。そちらの者達は?」 「私の教え子の中でも特に優秀な者達です。ジャーファル様にご紹介させていただきたく今宵連れてまいりました。まだ南方や北部にいる者もおりますので、その者たちにもいずれお会いください」 「さすが先生。助かります」  バキルの一団は右手に移る。必然的にムスラファンの前となるが、バキルという老人は物怖じしない性格のようで、仏頂面のムスラファンにも積極的に声をかけ出した。将軍家の確執など知らないのだろう、脳筋ムスラファンに答えられるとも思えない小難しい質問を浴びせている。  ジャーファルは笑いをこらえるが、アンチュの吹き出す声が背後で聞こえた。どうせカルナックも静かに笑っているのだろう。  続いて入ってきたのは焦げ茶の北宮の衛士服をまとった書庫の番人サイードだった。同行も書庫にいた者達だろうか、同じ井出達であることから一族の者であることを伺わせる。  さすがは家庭教師もこなしたという北宮の元衛士、バキルの一団同様に抜かりない挨拶を行い、サイードだけがジャーファルの傍に寄る。 「我が一族に再び栄達の機会をお与えくださるとのこと、心より感謝いたします。生涯お仕えいたします」 「期待している」  サイードはもう一度深く頭を下げ、バキルの一団の横に陣取った。  次は何か扉付近でもめているようでなかなか入ってこない。やっとして何故か押しこまれるように男達がどちゃどちゃと入ってきた。おっかなびっくりで中央を進み、来賓への礼もまともにできていない。  ムスラファンが舌打つ。  分厚い砂漠装束のような砂色の上着を纏った一団は、工兵クタイバ他、軍工場に潜む技術者達だ。  前の者達の挨拶も見ていなかったのだろう、彼らは広間中央までしか進めず、そこで盛大に土下座しだした。 「すいっませんっでしたあぁぁーーーっ!!」  声が大きい。  彼らは何故本殿に呼ばれたのかもわからず、王子への無礼で処刑でもされるのではないかと恐々としていたのだ。さすがにアンチュは我慢できなかったようで、ジャーファルの背後で笑いをこらえる変な息継ぎをしだした。遅れてカルナックも噴出したので、ジャーファルも苦笑いでごまかすしかなかった。  幕間でニルミンが四つ角を立てているので、三人は何とか呼吸を整えようとしたが一度ツボに入ってしまうとなかなか表情を戻せない。  ジャーファルは笑いをごまかすように振り返り、背後の双子に耳打つ。  双子はジャーファルの背後から颯爽と広間に下りるとクタイバの両脇に立ち、その小男をジャーファルの前に引きずった。 「お、お助け…っ、お助けをおぁぉ~!」  お許しじゃないのかとジャーファルはまたもツボってしまうが、なんとかポーカーフェイスを保つ。  足元に放られた涙目の男を極寒の視線で見下ろす。 「耳が悪いようだが私の声が聞こえるか?」 「は、はい…」  クタイバは顔を伏せて震えながら、息を吐きだすだけのような返事をする。  自分のような子供にここまで震える大の大人が、面白いを通り越して哀れに思えてきた。  パリィが彼の耳元で唸り声をあげると、飛び上がってどんぐり眼をパチクリさせる。  雰囲気で年長者かと思ったが顔のパーツの一つ一つは子供のような感じがしなくもない。割にまだ若い男なのかもしれない。 「クタイバ、だったか?年は?」  彷徨っていた灰色の瞳がぎょろっとジャーファルを捉える。 「…二十四です」  やはりまだ相当若い。今回招いた中では最年少だろう。ジャーファルは険を収め、そのぎょろ目に視線を合わせる。 「なら残りの人生は長いな。私、ジャーファル・ロア・サーファーブに忠誠を誓え」  そこまでジャーファルに言わせてやっとクタイバはこの場に招かれた理由が分かったらしい。  だが臣下の礼という作法はわからないのだろう、彼は土下座の姿勢を整え、ジャーファルに深々と頭を下げたまま腹の底から声を張り上げた。 「クタイバ・ハミシュ、ジャーファル様に忠誠の愛を誓いますっ!!!…は?!」  自分でおかしなことを宣言し、自分で突っこむ高等技術をされては双子どころがジャーファルも駄目だった。
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