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鎖章を取り上げられ、ただの黒い軍服姿になった彼は、神妙な顔をしてジャーファルの前に歩み出る。
そしてそのまま頭を深く垂れた。
「ヌーマン・ジー・ローダアヴァジーラでございます、ジャーファル様。先日は醜態をさらしましたこと何卒お許しください」
「許すわけないだろう。あれが責任ある左翼将の様か?ディルガムに罪があるのは当然だが、お前のせいでここに来れない者もいるはずだ。それは即ち私の損失なんだよ」
「……おっしゃる通りでございます…、ですが、今一度同族のよしみで…」
「…同族…だと…?」
ジャーファルの目の色が変わる。立ち上がりかけたところを後ろからカルナックが押しとどめる。両肩に手を置き、唇が付きそうなほど耳元で囁く。
「こいつ、俺がぶちのめしていい?」
「……なるべく長く苦しめて。できる?」
「もちろん!」
カルナックはジャーファルから離れ、アンチュの持っていた棒をひったくるように受け取り広場に下りた。
疲れたアピールのアンチュには、喉が渇いた、とねだった。彼女はウキウキとジュースをもらいに中央宮の方に走っていった。ジャーファルの近衛が二人とも彼女から離れた状態ということだ。
「今何かあったらカシムの責任だね」
「おい…」
「アンチュよりは強いんでしょ?」
「ち…」
他に上座にいるのはバキル、サイード、そしてクタイバ達とどう見ても戦いが不得手な者ばかり。カシムは姿勢を変えなかったが、舌打ちしながらもちゃんと緊張を張り巡らせたことにジャーファルは感心した。
カルナックとヌーマンの棒術での対峙が始まる。
以前の競技会では全く声援を受けられなかったカルナックだが、相手が皆に恨まれていた元左翼将となるとほとんどが彼の応援に回った。
最初は基本型から始まる。ヌーマンは新兵の協議会でも彼を見ていただろう。最初は押し気味に仕掛けるが、この半年、カルナックは鍛えに鍛えている。成長期も重なり見違えるようにたくましくなっていた。地位に胡坐をかいていた男に力負けなどするわけがない。
それでも元左翼将の意地だろう、時々からかうように出るカルナックの変則的な技もきっちり躱し逆に攻撃に変えてくる。
親の七光りかと思ったが、将軍一族の誇り、そして左翼将となっただけの実力はそれなりに持っているようだ。
二人の戦いを見ながら、先ほど一瞬表情を変えた上官に、カシムはためらいがちに話しかける。
「…元左翼将と同族って…」
カシムはジャーファルが将軍筋の子であることを知らなかったらしい。隠すことでもないので簡単に自分の経歴を話す。一般民衆は上層部のこと、まして王族のことなど知る機会もないのだろう。
ディルガムのことも、軍にさえ王子に狼藉を働いたとしか伝わっていない。これはおそらく広場で藻掻いている男でもそれくらいしか知らないだろう。もちろん強姦未遂は誰に話すつもりもない。
なお、その王子がどちらかも定かになっておらず、さすがにそこは兄の名誉のために自分であることを明かした。
「ってことは、その…伯父さんに拐されたってこと…か?」
「そうなるね。…そういうことする人だって思わなかったから油断してた」
今でもディルガムが何故あんなことをしようとしたのかはわからない。
「…ねえ、ディルガムが今どこにいるか知ってる?」
「知るわけねぇっすよ!」
「だよね」
「…ていうか、それならあの男絞ったらいいんじゃないすか?」
カシムは、顔にあざを作りながらもいまだに広場で奮闘している男を指さす。確かにローダアヴァジーラの一族で元左翼将なら色々聞けることは有りそうだ。ジャーファルは利用方法を考える。
時間が経つごとにカルナックが圧倒するようになってきているがいまだに倒れていない。
ヌーマンは見たところ、初老に差し掛かったくらいの年齢だろう、若いカルナックの攻撃は相当きついはずだ。
意地か根性か。
棒が折れそうなほどの鈍い音を聞きながら、しばらくの沈黙となり、その後またカシムが話しかけた。
「…そうすっと、…ジャーファル様はあのヤークト・ローダアヴァジーラとも親戚ってことっすか?」
その名に、平気なふりしかできないほど心臓が飛び跳ねる。抑揚ないように意識しながら何故そんなことを聞くのか聞き返した。
「俺、戦時は中隊長なんで、あの人が北部行く前に焼き直しに呼ばれたんすよ。…あんた…ジャーファル様の型ってあいつと同じって気がして、だからさっきも躱せたっつーか…」
「……彼は…私の……師匠のような人だ」
「あ、やっぱり。ていうか、あの人がまだ副官なんじゃないんすか?北部、どうするんすか?」
聞かれても答えなどない。まだ組織を作り始めたばかりなのだ。北の情報も入ってこない。
話が聞こえていたのだろう、ジャーファルを見上げていた下座席のバキルと目が合ってしまう。バキルはヤークトがジャーファルの親代りだったことを知っている者だ。助け船、というわけではないだろうが、彼がその話を遮ってくれた。
「私も組織案が出来ましたので一度ジャーファル様と副官殿に見ていただきたいと思っていたところです。北部の問題についても合わせて、近いうちに皆でお話いたしましょう」
ジャーファルとカシムが頷く。
競技場ではやっとヌーマンが動かなくなった。審判役がいないのでどちらかが降参するまで続けられたのだ。カルナックが棒を持つ手を掲げると彼の勝利を祝す大歓声が上がった。そのカルナックも息を少々荒らげている。ヌーマンもその程度には粘ったようだ。
バキルの配下が満身創痍のヌーマンをジャーファルの元に引きずる。
カルナックがジャーファルの背後に戻ると、彼女は席から立ち上がり、同族の男を見下ろし、精一杯の低い声を出した。
「なかなか根性はあるようだな。私の声が聞こえているか?」
「は…」
「お前の罪はなくならない。左翼将には戻さない。だが、使い道はありそうだ。そうだな…、軍工場の管理を任せよう」
「は…はああぁぁあぁーーーーーーーー?!」
叫んだのはクタイバである。
ヌーマンは痣だらけの顔で苦々しくジャーファルを見上げる。不満か聞かれると諦めたように視線を落とした。
「軍工場の成果には兄上も期待しているんだ。いわばこれからの国の命運をかけるべき部隊なんだよ。お前は左翼将まで務めたんだろう?優秀な工兵たちを生かすことくらいわけないよな?」
「はっ…ははあぁーーーー!!」
優秀と言われ、クタイバがまたしても雄たけびを上げながら頭を下げた。
ヌーマンは下を向いてぐったりしたままだが、ジャーファルに臣下として尽くすセリフを呟いた。。
「…ジャーファル様の恩情に感謝いたします。謹んでお受けいたします…」
「恩情ではない。失敗したら次は無いぞ」
脅しをどう受け取ったのか、腫れた顔ではわからない。左右にいたバキルの配下に彼の手当てを命じて下げさせた。
バキルの方を見るとうんうんと頷いている。
「意外と良い人選かもしれませんな。今後、西方の戦い方に合わせていくには軍工場の役割が非常に重要です。そこの頭に誰を置くのかは私も宛てがなく、あぐねていたところなのですよ」
軍工場のことがわからなくても、それをまとめる力はまた別物、左翼将は務まらなくても工兵程度の人数であれば彼の経験が生かせる期待がある。バキルはジャーファルの采配を褒めた。
それから何名かの手合いを見た後、日が高く暑くなってきたところで競技会は閉会した。
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