2-9.交わる人生

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 ジャーファルの質問には、上官でもあるし、過去のトラウマまで話す羽目になっている。  彼女はそれを面白おかしく茶化したりしないし、誰に言いふらすこともない。それは見ていればわかるので、変に疑われるよりはとなるべく話すようにした。  しかし逆にカシムはジャーファルのことを何も知らない。  将軍で第二王子、前将軍の血筋であること、それくらいだ。  カシムが徴兵されたのもファーティラが亡くなった後だ。  軍にいた女兵士で王の寵姫になったなどというシンデレラストーリーも、男社会で伝わる話ではない。軍は入れ替わりも激しい。  もちろん将軍家のことやジャーファルのことを聞く宛てもない。  将軍の副官とは言われても、カシムの意識は今だ軍の一兵士だった。上官のことを知らなければ従えない、なんてことはないので、そう言えば知らない、その程度だ。  逆に副官となったことで横のつながりがほとんど切れてしまったことを思い出す。  立場の違いに離れていった者もいるし、逆に取り入ろうとした者はカシムから切った。  夕闇に長い黒髪を溶け込ませて軽やかに走る王子。  とにかく人を見て対応するカシムの性質は、その存在の妙な違和感を日に日に強くしていた。  説明をつけるには、国家レベルのありえないその結論しかない。  しかしそうだとしても、ジャーファルは上官、カシムにとってはそれだけである。  走っている足先の角度の一瞬のおかしさに身構える。そのタイミングで下方からアンチュの声がかかった。 「ジャーファルゥ、モウクライヨー。アンチュアソビニイキターイ」  気の抜けた声に目の前まで飛んできていた蹴りがあさっての方向に空ぶった。  その勢いでジャーファルがバランスを崩し、岩場の段差から投げ出されるかっこうになってしまった。  受け身を取れる姿勢ではない。  カシムはとっさにジャーファルに飛びつくと、頭を守るように抱きかかえ、斜面になった岩場を背中で滑った。  カルナックとアンチュが慌てて二人の傍に走り、カシムの上に乗る形になったジャーファルだけを助け起こした。 「おい…」 「怪我無いか?!」 「大丈夫。ごめんね、カシム」  上官だけはカシムの心配をしてくれた。幸い丈夫な作りの軍服に助けられ、カシムにも怪我はないが。  ジャーファルは深い青の瞳を見開いてカシムを見つめる。  その視線は目からは僅かに逸れていて、視線の先あたりを指で触れるとあるはずのものがない。  カシムは左耳だけにピアスをしていたが、それがなくなっていた。 「っ、カルナック、アンチュ!カシムのピアス探して!!」 「は?!ピアス?」  ジャーファル以外に興味のない双子は、カシムが片方だけピアスをしていたことは何となく覚えていたが、どちらの耳にどんなものが付いていたかは覚えていない。二人で顔を見合わせ、ジャーファルを見ると、彼女が泣きそうな顔をしていたために慌てて這いつくばった。  金色の瞳を皿のようにして地面に目をこらす。  ジャーファルも、王子までもが、這いつくばってピアスなどという小さなものを探し出した。 「いや、あの…たいしたもんじゃ…ないし…」 「お姉さんの形見だって言った!」  ジャーファルに怒鳴られ、カシムも自分が落ちてきた辺りから当たりをつけてピアスを探した。  カシムは聞かれるままジャーファルに自分のことを話している。  父は中央都の家具職人で、家は宮殿に近いため実家から軍に通っていること(これを最初に笑われ、即西宮に住むように命じられた)、姉兄妹弟のいる真ん中であること。  姉は彫金職人に嫁ぎ、彼女自身も腕のいい職人で夫と共に働いていたこと。つい最近、三人目の出産時に亡くなったこと。  ピアスは訓練教官に出世したときに彼女が作ってくれたものであること。  あたりは既に日が暮れていて、月明かりだけの中で小さな金の粒を探すなど困難を極めた。  ジャーファルが真剣なのでカシムも双子も諦めるわけにはいかなかったが、いい加減気温が下がってきたため、カルナックがジャーファルを諦めさせようとする。  それでいいかカシムにも確認を取ろうとしたところでパリィが吠えた。  彼女が前足を掻く岩の割れ目に、挟まった彫金細工があった。 「よかった」  ジャーファルの手からカシムにその小さな粒が返される。  いつもきれいに手入れされている指が汚れ、細かな傷もついている。掌にそれが触れた時の冷たさにカシムは言い知れない罪悪感に苛まれた。 「ジャーファル、早く戻ろうぜ!アクバルが心配する」 「あ、うん!またね、カシム」 「あ…ああ…」  双子と狼と戻っていく王子の後ろ姿を、カシムは黙って見送った。
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