2-10.毒殺事件再び

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 一晩経って、ジャーファルはサイードを故郷に帰す命令を出した。  サイードは独身で、一番近しい肉親は共に書庫管理をしていた弟だった。兄が倒れた時には副官として淡々と報告を引き継いだ彼である。  あの時は冷静に見えたがやはりショックだったらしく、兄に付き添って彼も王宮からいったん去ることを希望した。  その日の夕方、ジャーファル他皆で王宮を無言で去るサイードを見送った。  青白い顔で、既に命が入っているとも思えない状態で親族たちに運ばれていく。  それから数日後、その弟の紹介状を持った男がマジュドに連れられてやってきた。  ナバンという壮年の男は、健康的な外見でよく笑う、サイードとは真逆の印象を持っていた。年は十ほど上だそうだが彼の方が若く見えるくらいだった。  一応サイードの叔父ということだが、叔母の連れ合いなので血のつながりは無い。  彼はサイードの故郷で長年新聞記者を生業としており、情報部立ち上げに伴ってサイードが最初に頼った男だった。  自分に何かあったときには線の細い弟に代わって代理をして欲しいとかねてより頼んでいたらしい。 「…サイードは自分に狙われる覚えがあったのか?」 「いえいえいえ!そんなものではございません。情報は共有されてなんぼ!人がいなくなったくらいで秘密になってはいかんのですわ。サイード坊は誰がいなくなっても情報が伝わるようにと考えておりました。なので自分に何かあったときには俺をと。んで、俺に何かあったら次はうちの息子出しますわ!」  初めて王子の前に出されたただの平民だと言うのに、ナバンはすぐに口調が崩れ、あっけらかんと笑い出した。  新聞記者というのはエルジアではまだほとんど知られていない職業であり、ある意味大道芸人に近い。  印刷技術もまだなく本は写本が普通の時代、それでも人々の好奇心は抑えられない。新聞記者は小集団で全国の情報を集め、読み物を作成し、街角でそれを売り歩くという商売なのだ。  ナバンは故郷と中央を何度も行き来し、地方に国の情勢を知らせるいわば政治記者である。地方の駐屯軍からもひそかに頼りにされていたりと、まさにエルジアでもっとも情報を伝える術を知る男なのだ。サイードが頼りにするわけである。  初めて招かれた王宮に、若く美しい将軍。軍を指揮する平民出身の将達。  男は喋りながらもきょろきょろと食指を動かすので、警備するルアイの顔が珍しくひきつっている。  ナバンには、サイードのやり残していた北部の詳細な探索を命じた。  将軍家の透かしの入った高級な紙で施設出入りの許可証を書く。王子のサインは信じなくても紙で分かるはずだ。  ナバンはそれを二通求めた。 「何か考えがあってのことか?」 「予備ですよ。絶対確実って方法でもないんで。でも書いていただけりゃ、そうですね、最短五日で!」 「五日…って、どうやるんだ?!」  北部戦線は軍を指揮したら片道一月近くかかってしまう行程だ。早馬でも一週間はかかるはず。ナバンは自慢げに鼻をこする。 「へへ…まあ、うまく行ったら見ていただきましょう!」  そうして騒がしい男は怒涛のようにやってきて、怒涛のように去っていった。    王宮にとっては珍妙な客の対応となったため、いつになく疲労を感じたようなルアイ達に片付けを任せ、ジャーファルは近衛たちとマジュドの執務室に向かう。  彼の部屋は学校の最上階にある。今でも何コマかは教鞭をとっているそうだ。  内務将マジュド。バキル一押しの男である。  軍服は作ったものの、ほとんどいつも礼装を着用し穏やかに微笑んでいる印象である。他国の者が想像するエルジア人の姿そのままかもしれない。  彼の後に続いて学校の建物に入ると、そこにいた学生たちがすぐさま両脇に並びジャーファルに礼をする。以前来た時は物珍しさで慌てられただけだったことを思うと、いつの間にかずいぶんと変わったものだ。
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