13 Ca.ndy boutique

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13 Ca.ndy boutique

「ウィル、外へ出る前に少し時間を頂けますか?」  ビーチ近くのパーキングに駐車した夫は、そう言うと手早くシートベルトを外して助手席へ向き直った。窓から吹きつけていた涼風により乱れた髪を整えていたウィリアムは、僅かに頬を強張らせて頷く。 「今朝からの酷い態度を謝罪します。体調不良で倒れた貴方に、私は普段よりも丁寧に接するべきだった。それなのに、貴方が昏倒したことに動揺して、酷い不安に襲われながら一人内省するのに手一杯で……完全に精神的余裕を失っていました。大事な場面で頼りなかった自分を恥じています」  驚きと困惑に見開かれたミルクティブラウンの瞳に、畏まった夫の姿が映る。目元の甘い端正な顔に重々しく誠実な色を浮かべていた。 「酷い態度って……私のために急(きょ)メディカルチェックアップの手配をし、折角の休日を無駄にして付き添ってくれた貴方に、謝罪の必要はありません。謝罪すべきは、恥ずべきは私の方です。セルフマネジメントを失敗して倒れたことも、貴方が昨日勘付いたトラブルに関して黙っていたことも……本当にすみませんでした……そして……」  真剣な面持ちで謝罪を終えたウィリアムは一呼吸置くと、ふわりと美しく微笑んで、夫の発言から生じた思いを伝えようと口を開く。 「そして、ありがとうございます。私を愛してくれて……心から私を思ってくれているから、ナーバスになり、煩慮(はんりょ)したのでしょう?」  微笑むウィリアムは、自然と湧いて出た言葉に自分でも少々驚きつつ、改めて夫の愛を実感していた。  度重なる失態を演じたことで投げやりな気持ちになっていたが、相手はただ自分の不調に心を砕いている。自分は作り上げたゴーストと一人戦っていたのだろうかと、視界がクリアになった気がした。 「ウィル……」  点滴の止血用に厚みのある絆創膏を貼られた手の甲に、夫の手が優しく重ねられる。酷く温かかった。  自然と互いの顔が近づき、軽く唇が触れ合って静かに離れた。破顔しつつ物足りなさを思考の外へと追い遣って、ウィリアムは背筋を正す。 「私からも話があります。随分と遅くなりましたが、今朝受けた質問にお答えしますね」  ウィリアムは現在抱えているネットトラブルについて、漸く夫に全てを打ち明ける。夫が同席していた空間で盗撮されたこと、その動画がインターネット上にアップされ拡散されたこと、そのせいで気が休まらなかったこと、更なる被害に遭いかけたこと……あれほど知られることを忌避していたというのに、弁護士事務所に事の次第を報告した時と同様に落ち着いて話すことが出来た。 「……以前の私なら直ぐに報告したと思うんですけど、何だか色々重なって、億劫になってしまって……ただでさえ貴方には余裕がないところを見られているのに、これ以上失望されたくなかったんです。でも、今日のことも含めて取り繕うことも出来ないくらい粗を見せ続けていたら、何だか肩の力が抜けてしまいました。もっと早く相談していれば良かったですね。貴方も全くの無関係ではないのに、余りに利己的で独り善がりでした」  ウィリアムは好勝負を演じたボードゲームを投了するような調子で言い、疲れが滲む笑みを浮かべた。 「面白くない出来事をよく(つまび)らかに語ってくれました。悪感や不安を分かち合う権利を与えてくれたことに感謝します。同時に、貴方の苦痛を今日まで少しも察することが出来なかったことを申し訳なく思います……可能であれば、担当弁護士の方から詳しい話を伺いたいのですが、構いませんか?」 「ええ、後でその旨伝えておきます」  一連の出来事を包み隠さず語ったウィリアムに対する夫の感想は簡潔だった。しかし、それは関心の希薄さが反映されたのではなく、加害者や自身に対する激しい憤怒を抑えた結果、一見反応が淡白になったのだとウィリアムは承知していた。小さく息を吐く。 「折角の海なのに車内に籠っていたら勿体ないですね。もうキッチンに逃げ込んだりしませんから、続きは帰宅後に話しましょう」  ウィリアムは膝の上に置いていたケースからサングラスを取り出して言った。 「今日は風が強いですね。冷えるといけないので、念のためブランケットを持っていきましょうか。ライアン用に積んでいる物があるので」 「そんな、海に入る訳ではないし大丈夫ですよ……」  後部座席のドアを開けた夫は、チャイルドシートの上から目当ての物を取り出した。ドアをロックし助手席側へ回ってきた夫が手に持っていたのはシンプルなグレーのカシミヤで、ライアン用という言葉に要らぬ心配をしたウィリアムはくすりと笑う。 「キリン柄だったらどうしようかと思いました」 「貴方なら何だって似合いますよ」  夫は冗談めかして言うと、白い歯を見せて漸く魅力的に笑った。  シーズン前のビーチは人影もまばらで落ち着いていた。  靴を脱ぎ、さらさらと白い砂に足を取られながら波打ち際を目指す。広い砂浜は体力が落ちた身に(こた)えたが、ウィリアムは久し振りの無邪気で健康的な運動を楽しんでいた。  サングラスを上にずらして景色を眺めた。年明けから家に籠りがちだったせいか、青い空や澄んだ海がこれまでの人生で一番広大に感じられる。  波打ち際に近い乾いた砂の上に、夫が何の躊躇いもなく薄手のジャケットを脱いで敷いた。微苦笑しつつその上に腰を下ろす。  打ち寄せる波の大小のみに注目して、一定の間隔で寄せては返す波を無心で眺めていると、近頃の乱れ(よう)が嘘のように心が(しず)まった。海にヒーリング効果があるとは聞き知っているが、これほどかとその効果に驚く。  春の海辺で肩を寄せ合った二人は、日が傾き始めるまで静かな時間を共有した。  帰途に就く前に飲み物を買おうと、観光客向けのショップが立ち並ぶエリアを歩いていたところ、ウィリアムの目が不意に一軒の店を捉えた。 「暫く来ていなかったから、この辺りも僅かに様変わりしていますね……少し見ていきますか」  洒落た外観に興味を引かれたのに気付いたらしい夫が、穏やかな低声で問う。  ウィリアムはサングラスを胸元にかけると、ガラス張りの店舗をまじまじと覗いた。白とベビーピンク、シャンパンゴールドで構成されたブライダル専門店の様な内装。店員も客も女性ばかりの店内は少々場違いに思われたが、折角だからと入店を決める。  高級な価格帯の品を取り揃えているキャンディ専門店は、商品の陳列も美しく目の保養になった。ライアンが食べられる年頃だったら大層選び甲斐があっただろうと話しながら店内を見て回る。とある商品がウィリアムの目に留まった。  アクリルの円筒スタンドに挿してある中から一つ抜き取って振り返り、背後にいた夫に見せる。解放感からか、その笑顔は(はじ)けるようだった。 「レイ、このキャンディを見てください。そのまま食べても良いんですが、紅茶に溶かして飲むのに適しているそうですよ。コーヒーばかり飲んでいるから知らなかったけれど、こんなに素敵な商品があるんですね」  華奢なスティックの先についている薄い円形のキャンディ。透明なキャンディの中にはエディブルフラワーと金箔が閉じ込められており華やかだった。 「綺麗ですね……幾つか買っていきましょうか」  優しく肩を抱いて夫が言う。  自宅用にビオラや薔薇、カーネーションなどのキャンディスティックを数本と、心配をかけたシャニースへドロップボックスを購入した。  客に出すフレイバーティーに添えると受けが良いかもしれない。ミニサイズは発注可能か、サンプルを送ってもらうよう指示しようかと考えて、ウィリアムは随分と精神的余裕が戻ってきたことに気付く。  二人は薬局とスーパーマーケットに寄りながら、愛する息子の待つ家へと戻った。
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