8  the terrible 4 months

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8  the terrible 4 months

「んぎああぁあああああ!!!! ぎやあああぁああああ!!!!!」 「ライアン・ユーフェイ、どうしてそんなに怒っているんだ……? これはそんなに怒るようなことじゃないよ……ああ、もう泣きすぎて訳が分からなくなってしまったんだね。可哀想に涙が零れてる……ほらおいで、また抱っこしてあげよう」  生後四ヶ月とは思えない声量で、朝から火が付いたように泣く息子。  泣き顔を可愛いと思う余裕もなくプレイマットから回収したウィリアムは、小さな頭に頬を寄せて、横幅が片手に収まってしまうほど狭い背中を(さす)った。薄くするするとした手触りのコットン生地が手のひらに心地いい。  昨夜から新生児期に戻ったかのように眠りが浅く、体調を崩している訳でもないのに短い睡眠から目覚めては泣くのを繰り返している。仕事の都合で夫が不在だったのをこれ幸いと、深夜に家中を連れ歩いてあやした。吐き捨てられたおしゃぶりを何度拾ったか覚えていない。  そうして夜が明けた今。寝不足のせいか流石のウィリアムも途方に暮れるほど機嫌が悪く、早々にミルクに飽きては体を反らして暴れ、おしゃぶりと指を同時に口に入れようとしては思い通りにならず泣く。プレイマットに寝かせてみれば、今度は寝返りが上手く打てずに泣き始めた。  息子を抱いたウィリアムはリビングの窓からぼんやりと地上を見下ろしながら、防音性に優れた戸数が少ないアパートメントを選んでおいて良かったと思った。条件の悪い場所に住んでいたら、周囲への気兼ねから(ふさ)いでいたことだろうと考えてぞっとする。  しゃくり上げる愛息の背中を優しく叩き続けていると、次第に落ち着きを取り戻し大人しくなった。未だ毛髪が少なく温もりを直に伝える頭へキスを送る。 「ライライはどうしてこんなに悲しくなってしまったのかな……ダディがいなくて寂しかった? 今日はちゃんと帰って来るからね……お昼になったら気分転換にお外へ出ようか。賑やかな場所を歩いたら、きっと楽しいね」  ウィリアムは慈しみに満ちた薄茶色の目を伏せて、珍しく縦抱きでうとうとし始めた愛息に向かって囁いた。  徹夜に近い状態で朝を迎え、日増しに怒りの表現が激しくなる息子に手を焼きつつ普段通りリモートワークをこなす。シャニースは今の状況を社長室で子育てをしているようだと言ったが、集中力を削がれながらの作業は社長室でただデスクに向かっている時に比べ何十倍もの労力を要した。  持ち前の処理能力でどうにか午前のタスクを消化し、時計を見れば早くも昼時だった。夫のいない日中は食事を用意し味わう気力や時間がないのでシリアルバーとコーヒーに依存していたが、(たま)には人間らしい昼食を取ろうと考えていた。  肉より魚が食べたい気分だった。スシのランチボックスかロブスターのラップサンドイッチもいい。昨日は出社日のうえ、仕事の合間を縫って弁護士に会うなど酷く忙しい一日だった。夜まで構ってやれなかった愛息と美味しいランチを求めて散歩する。良く働いた自分へのこれ以上ない褒美だ。  心配性な居候がやって来る前に少しは体重を戻しておく必要があるというのも、まともな食事を買いに出る理由の一つだった。  一昨日は結局その件について夫に切り出すことなく夜を過ごしてしまった。今夜夫が帰宅したら伝えようと考えながら、ウィリアムは冷めたコーヒーを飲み干す。卓上のベビーモニターをチェックすると、短い両腕を真横に伸ばした愛息は未だ夢の中にいた。  動画拡散の一報を受けて一週間が経過した。  他人の極めてプライベートな時間を盗撮しネット上に流出させたのは、あの場にいたインターン生だったと弁護士から報告を受けている。個人への悪意があった訳でも、ましてや企業に不利益を(もたら)すつもりもなく、単なる出来心からの行動だったと述べているらしい。本人及び病院担当者との面談や賠償請求などについては引き続き弁護士事務所に対応を任せている。  ネットトラブルに強い事務所の迅速な対応により、少なくとも掲示板やSNS上からは早々に動画は消え、疑心暗鬼で冷や汗を掻くことはあれど、それ以上は何事も起こらない平穏な日々が続いていた。  不特定多数に意図せずプライベートな動画が流出した人間の中では、上手く対処できている方だと自負している。それでも思い出す度に不快ではあり、万が一名が割れて夫や子に不利益が発生したらという不安は常に付き(まと)っていた。  目に付く場所に再び動画がアップされないか、当面の間は事務所がチェックし続けるとのことだった。しかし、個々人が保存したものを消去していく手立ては当然ながら存在せず、時が過ぎて人々の興味が薄れるのを待つしかないとのことであった。  何もリベンジポルノをされた訳ではない。現時点で直接的な害を(こうむ)ってはおらず、為すべきことは為した。肝を焼く度、ウィリアムはそう己に言い聞かせてきた。  椅子の背もたれに深く体を預けたウィリアムは、目を閉じて黙考する。  思い返せば、三十年の人生で己に最も強いショックとストレスを与えたのは、今回のトラブルではなかった……結婚前、夫がセーラと密かに交流を深めていたのを知った時だった。当時覚えた身震いするほどの嫌悪感といったら、今回の比ではなかったと追想する。  当時まだハイスクールに通っていた子供に遊びで手を出しているのか、そもそも自分に近づいたのはあの子と通じ合う為だったのか、倫理観を疑い多いに失望した。関係を清算しようとしたところ、必死の形相で背信行為を否定されたことは記憶に新しい。  しかし、追い討ちを掛けたのはその弁明だったと、ウィリアムは苦々しい感情を思い出し天を仰いだ。白く高い天井を映す瞳が(くも)る。  前世の記憶を持つ者同士、隠れて旧交を温めていたのだと言う。  眩暈(めまい)がした。低レベルな言い訳を聞かされたからではない。言葉を操り始めた頃からプレティーンの頃まで、折に触れては転生物語の共有に熱心だったセーラに前世仲間が増えたという事実が、事もあろうにそれが最愛のパートナーであったことが、衝撃的で受け入れがたいものだったからである。  真剣に前世を語る者が周囲に一人だった今までは、自身のルーツに影響を受けた夢物語だと一笑に付すことが出来た。絵本やアニメのストーリーを現実と混同しているのだと切り捨てられたのが、一気に劣勢になる。 『貴方には記憶がないようなので荒唐無稽(こうとうむけい)に聞こえるかと思い伏せていましたが、我々は千年以上前にも現在と同様に愛し合う仲でした。当時の私の名は松朔英。貴方は__』  モニターの中で、息子が大きく伸びをしたのが見える。そのまま夢うつつで寝返りにチャレンジしようとして、途中でつかえて動けなくなった。号泣へのカウントダウンのような声を発し始めたのを聞いて、ウィリアムは空のカップを手に取り立ち上がる。 「ダダが今行くよ、ライ」
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