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第1話 暗礁の日々(8)
初めての求婚者は、ミンウェイに四つ葉のクローバーを贈った。
花言葉の通り、彼は彼女の『幸運』を願い、『私のものになって』という愛の告白をし、一方的に将来を『約束』してくれた。
四つ葉のクローバーに載せられた彼の想いは、ことごとく叶わなかった。
ミンウェイが、彼を殺したからだ。
それが、父に命じられた仕事だったからだ。
裏切られた花言葉たちは、最後の花言葉に意味を変える。
そう……。
――『復讐』に。
「私は、決して幸せになってはならない……」
そして彼女は、自分自身に戒めの呪縛を掛けた――。
料理長への連絡事項があったため、ミンウェイは夜の厨房へと足を運んだ。
暗い食堂を抜ける途中で、奥から漏れ出る橙色の明かりと共に、楽しそうな気配を感じる。今の時間、料理長は明日の仕込みをしているのだが、今日はメイシアもいるようだ。
彼女は暇を見つけては、料理長に教えを請うているらしい。教え甲斐のある生徒だと、いつだったか料理長が自慢げに話していた。
飲み込みもよいが、何よりも嬉しそうに料理をするのがよいという。『ご馳走する相手のことを考えているのですねぇ』と、小さな目が頬肉に埋もれそうなほどに、福相をほころばせていた。
「ごめんなさい、料理長。今、いいかしら?」
ミンウェイは戸口で声を掛けた。中の光は、彼女には少し眩しい。
「あ、ミンウェイさん」
エプロン姿のメイシアが、ぺこりと頭を下げる。そして彼女はさっと料理長のそばへ寄り、彼が掻き回していた鍋の番を代わった。どうやら、焦がさないように煮詰めるものであるらしい。
料理長は、にこにこしながらメイシアに礼を言い、こちらにやってくる。
「メイシア、本当にいろいろできるようになったのねぇ」
「ええ。彼女が手伝ってくれるので、助かっています」
ミンウェイの感嘆の声に、料理長は立派な太鼓腹を揺らしながら、全身で大きく頷いた。
料理長に連絡事項を伝えながら、ミンウェイは数日前に、ルイフォンが倒れたときのことを思い出す。
メイシアは、ルイフォンの眠りが浅いことにずっと前から気がついていて、ミンウェイのところに相談に来ていた。ミンウェイ自身、彼の顔色が悪いのは知っていたから、医者として睡眠薬を処方しようかと悩んでいた。
けれど、薬は所詮、一時しのぎ。ルイフォンの不眠は不安からくるものだから、根本的な解決にはならない。
だから、案の定といった具合いに彼が倒れても、薬は出さなかった。その代わり、メイシアに付き添いを頼んだ。
あの日、ふたりがどんな話をしたのかは知らない。知る必要もない。重要なのは、ルイフォンがすっかり元気になったということだけだ。気を張っている感じはあるものの、今の彼はとても安定している。そして、メイシアもまた、生き生きとしている。
ふたりの関係は理想だと、ミンウェイは思う。
まさに、相思相愛。
時々、目のやり場に困るが、微笑ましい。……ほんの少しだけ、心が苦しくなることがあるけれど――。
伝達が終わり、料理長が鍋に戻ると、メイシアは自分の作業を再開した。葱を細かく刻んでいる。危なっかしかった包丁さばきも、見違えるようだ。
彼女のそばには、一人分の食器が用意されていた。
「メイシア、それ、ルイフォンへの夜食?」
ミンウェイが尋ねると、メイシアは少し照れ、しかし満面の笑顔を浮かべた。
「はい。お手伝いをさせていただきながら、お夜食の作り方も教わっているんです」
簡単に摂れ、かつ腹持ちがする雲呑スープだそうで、葱は仕上げらしい。
だが、食べるほうは手軽でも、作るほうはかなりの手間だろう。見た目には分からないが、幾つもの食欲をそそる香りが複雑に絡み合っている。つまり、それだけの材料が使われているわけだ。
「作業中のルイフォンに、この味の奥深さが分かるのかしら……」
ミンウェイは、思わずそう呟いてしまう。
「でも、美味しかったときは、ちゃんと美味しかったと言ってくれるんですよ」
「それって……、苦労して作ってあげても、美味しくないと思ったら……?」
「ルイフォンは、お世辞は言いません」
「……」
「それでいいんです。彼の好みが分かりますし、それに……。――褒めれたとき……、そのっ、凄く……嬉しいから」
そう言って、メイシアは頬を染める。
どうやら、野暮だったようだ。溜め息混じりに「まったく、あなたたちは……」と、苦笑するしかない。
そのとき、机に置かれていたメイシアの携帯端末が、メッセージの着信を伝えた。彼女の連絡先は限られた者しか知らない。珍しいことだ。
メイシア自身もそう思ったのだろう。わずかに眉根を寄せながら表示を確かめた。
「スーリンさん!」
「えっ!?」
ルイフォンを巡る恋敵であったはずの、少女娼婦スーリン。仲良くなったとは聞いていたが、こんなふうにやり取りまでしていたとは驚きだ。
「今、読んでいいですよ」と料理長から優しい声が掛かり、メイシアは嬉しそうにメッセージを開き……顔色を変えた。
――メイシア、今回はあまりいい話じゃないの。ごめんね。
女王陛下のご婚約が発表されて、貴族はおおまかに、ふたつの派閥に分かれたのは知っている?
今まで政務を執られてきた摂政を支持する派閥と、これから先、女王陛下と政治を行われることになる婚約者の派閥ね。
さっきお見送りした貴族のお客様の様子だと、水面下で権力争いが激しくなっているみたい。どちらにつくべきかと、ぶつぶつと漏らしていたわ。
それだけなら、メイシアに連絡することでもないんだけど、気になることを言っていたのよ。
『藤咲の当主は、餓鬼のくせに、おふた方から贔屓にされている。まったく忌々しいことだ』――って。
藤咲の当主というのは、メイシアの異母弟さんのことよね? 『今を時めく、悲劇の貴公子』って、少し前に話題になっていた。
王宮は随分と、きな臭いみたいよ。政情を考えると、異母弟さんは否が応でも巻き込まれざるを得ないと思う。だって、藤咲家って、今、一番、勢いのある貴族だもの。
正直、私にはどうしたらいいのか、分からない。だから、ルイフォンとか、鷹刀の人たちに相談してみて。異母弟さんの力になってあげてね。
それじゃ、また連絡するわ。今度は楽しい話をしたいわね――。
「ハオリュウが……」
メイシアは、真っ青になって声を失った。
メイシアのことが心配だったので、できあがった夜食を運ぶ彼女に付き添って、ミンウェイはルイフォンの仕事部屋に行った。
事情を聞いたルイフォンが、メイシアの髪をくしゃりとすると、彼女は不思議と落ち着きを取り戻した。まるで魔法だった。
「取り乱してすみません。貴族なら、勢力争いは当然のことでした」
しっかりとした口調でそう言い、メイシアは頭を下げる。
「――だからこそ、ハオリュウは私を外へ出してくれたんだもの……」
切なげな眼差しでメイシアが唇を噛むと、ルイフォンが再び彼女の髪を撫でた。
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