第2話 目覚めのない朝の操り人形(5)

1/1
前へ
/36ページ
次へ

第2話 目覚めのない朝の操り人形(5)

 彼が目覚めた日。  彼は、死んだ天才医師〈(ムスカ)〉を蘇らせた『もの』なのだと、〈(サーペンス)〉に告げられた。  だから彼は、ふたつの質問をした。  ひとつ目は、オリジナルの彼――〈(ムスカ)〉の死について。  その答えを、〈(サーペンス)〉は偽った。  イーレオに殺されたと虚言を吐き、彼に復讐心を植え付けた。彼に協力すると申し出て、見返りに力を貸してほしいと要求してきた。  そして、それこそが、ふたつ目の質問――すなわち、〈(サーペンス)〉が〈(ムスカ)〉を蘇らせた理由――の答えになると言った。 『あなたの怒りは、もっともだわ。だから、私はあなたの復讐に協力しましょう。――その代わり、私に天才医師〈(ムスカ)〉の力を貸してほしいの』 〈(サーペンス)〉はそう言って、彼に話を持ちかけた……。 「ほう? 取り引きですか」 「ええ」  きっちりと結い上げられた髪を揺らし、〈(サーペンス)〉は目を細めて頷いた。  そして、込み入った話になるからと、研究室内に放置されたままであった椅子を、彼に勧める。  彼としても、今まで培養液を漂っていたのであろう肉体に、無理はさせたくなかったので素直に従った。あとで、この肉体の健康診断をせねばなるまい、などと思いながら。  埃だらけの座面を払い、白い布を巻き付けたままの姿で座る。  服も調達する必要があるだろう。鬱陶しく伸びた髪を切り、髭を剃り、身支度を整えたい。そんな現実的なことが次々と浮かんでくる。  自分は〈影〉であり、オリジナルは殺されたという衝撃や、別人のように変わってしまった娘への驚愕は、決して小さくはなかった。だが、腰を下ろし、視野が変わると、まるでそれに触発されたかのように思考の視界も変わっていった。  ゆっくりとではあるが、彼本来の冷静さが戻ってくる――。  そんな彼の様子に〈(サーペンス)〉は満足したのだろう。彼の向かいに座ると、早速とばかりに口火を切った。 「まず、私がどのようにして、あなたの復讐に協力するつもりなのか、説明するわ。――実は、鷹刀イーレオを捕らえる作戦の準備が、既に整っているの」 〈(サーペンス)〉は意気揚々と告げた。その口ぶりからは、彼の目覚めをどれほど待ちわびていたのかが伝わってきた。あまりの気勢に、かえって彼は鼻白む。  しかも――。 「捕らえる?」 「そうよ。あなたならきっと、ただ命を奪うだけでは物足りないでしょう? だから、イーレオの身柄を確保して、あなたに引き渡してあげるわ」 「引き渡す、ということは……、では私は何をすれば?」 「あなたは待っているだけでいいの。実行するのは警察隊と斑目一族。それから貴族(シャトーア)にも踊ってもらう――そういう作戦よ」 〈(サーペンス)〉は胸を張り、にやりと自慢げに嗤う。  その後、更に詳しく聞けば聞くほど、〈(サーペンス)〉の作戦は巧妙かつ複雑な罠だと分かった。よくぞ、そんな方法を思いついたものだと、半ば呆れながらも感心せざるを得ない。 「それから、あなたの娘のことだけど――。あなたが現在の彼女に会いたいと思うか否か、疑問だったから、まだ何もしていないわ。けど、お望みなら、彼女を連れてくる算段も立てましょう」  彼の心が、ざわりと揺れた。埃の床に落ちた、現在の娘の写真を思い出し、鼻に皺を寄せる。 「どうかしら?」 〈(サーペンス)〉は首を傾け、彼の顔を覗き込む。  そして、彼の返事を待たずに、「次に……」と、続けて『見返り』の件を彼女が切り出そうとしたときだった。 「私に応じる義務はありませんね」  冷酷にすら聞こえる低い声で、彼はぴしゃりと跳ねのけた。自信満々だった〈(サーペンス)〉の顔が、見る間に変わっていく。 「……何故かしら?」  抑揚のない声で〈(サーペンス)〉は尋ねた。彼に詰め寄り、重ねて問う。 「あなたは、鷹刀イーレオに復讐したいでしょう?」 「勿論、復讐はしますよ。しかし、あなたと手を組むばかりが、その方策ではありません」 〈(ムスカ)〉にしてみれば、〈(サーペンス)〉の態度は不愉快でしかなかった。  どう考えても、彼を手駒にしようと画策しているだけにしか思えない。そもそも彼は、初対面の相手をすぐに信用するような人間ではないのだ。 〈(サーペンス)〉は顔をしかめ、眉間に皺を寄せた。 「イーレオを捕まえる準備は、既にもう整っているのよ? ……それに、私が頼みたいことは、あなたでなければ、とても不可能な案件なの。引き受けてもらわなければ困るわ」 「私でなければ不可能とは、随分と買われたものですね」  すっと口角を上げ、彼は畳み掛ける。 「〈七つの大罪〉には、私以外にも優秀な〈悪魔〉がいるでしょう? 何も、死んだ私を蘇らせなくてもよかったのではないですか?」  探るように、視線を向ける。対する〈(サーペンス)〉も、彼の思考を読んでいたかのように、滑らかに答えた。 「この案件は、どう考えても〈(ムスカ)〉の専門分野なの。だから私は初め、〈冥王(プルート)〉に保存されていた〈(ムスカ)〉の記憶を、適当な人間の肉体に入れて、『普通の〈影〉』を作ったのよ」  そう言って、〈(サーペンス)〉は軽く目をつぶり、深く息を吸い込んだ。  訝しむ彼の前で一度、息を止める。そして、今度は一気に吐き出すと、一瞬、遅れて彼女の背から光が噴き上げた。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加