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第2話 目覚めのない朝の操り人形(5)
彼が目覚めた日。
彼は、死んだ天才医師〈蝿〉を蘇らせた『もの』なのだと、〈蛇〉に告げられた。
だから彼は、ふたつの質問をした。
ひとつ目は、オリジナルの彼――〈蝿〉の死について。
その答えを、〈蛇〉は偽った。
イーレオに殺されたと虚言を吐き、彼に復讐心を植え付けた。彼に協力すると申し出て、見返りに力を貸してほしいと要求してきた。
そして、それこそが、ふたつ目の質問――すなわち、〈蛇〉が〈蝿〉を蘇らせた理由――の答えになると言った。
『あなたの怒りは、もっともだわ。だから、私はあなたの復讐に協力しましょう。――その代わり、私に天才医師〈蝿〉の力を貸してほしいの』
〈蛇〉はそう言って、彼に話を持ちかけた……。
「ほう? 取り引きですか」
「ええ」
きっちりと結い上げられた髪を揺らし、〈蛇〉は目を細めて頷いた。
そして、込み入った話になるからと、研究室内に放置されたままであった椅子を、彼に勧める。
彼としても、今まで培養液を漂っていたのであろう肉体に、無理はさせたくなかったので素直に従った。あとで、この肉体の健康診断をせねばなるまい、などと思いながら。
埃だらけの座面を払い、白い布を巻き付けたままの姿で座る。
服も調達する必要があるだろう。鬱陶しく伸びた髪を切り、髭を剃り、身支度を整えたい。そんな現実的なことが次々と浮かんでくる。
自分は〈影〉であり、オリジナルは殺されたという衝撃や、別人のように変わってしまった娘への驚愕は、決して小さくはなかった。だが、腰を下ろし、視野が変わると、まるでそれに触発されたかのように思考の視界も変わっていった。
ゆっくりとではあるが、彼本来の冷静さが戻ってくる――。
そんな彼の様子に〈蛇〉は満足したのだろう。彼の向かいに座ると、早速とばかりに口火を切った。
「まず、私がどのようにして、あなたの復讐に協力するつもりなのか、説明するわ。――実は、鷹刀イーレオを捕らえる作戦の準備が、既に整っているの」
〈蛇〉は意気揚々と告げた。その口ぶりからは、彼の目覚めをどれほど待ちわびていたのかが伝わってきた。あまりの気勢に、かえって彼は鼻白む。
しかも――。
「捕らえる?」
「そうよ。あなたならきっと、ただ命を奪うだけでは物足りないでしょう? だから、イーレオの身柄を確保して、あなたに引き渡してあげるわ」
「引き渡す、ということは……、では私は何をすれば?」
「あなたは待っているだけでいいの。実行するのは警察隊と斑目一族。それから貴族にも踊ってもらう――そういう作戦よ」
〈蛇〉は胸を張り、にやりと自慢げに嗤う。
その後、更に詳しく聞けば聞くほど、〈蛇〉の作戦は巧妙かつ複雑な罠だと分かった。よくぞ、そんな方法を思いついたものだと、半ば呆れながらも感心せざるを得ない。
「それから、あなたの娘のことだけど――。あなたが現在の彼女に会いたいと思うか否か、疑問だったから、まだ何もしていないわ。けど、お望みなら、彼女を連れてくる算段も立てましょう」
彼の心が、ざわりと揺れた。埃の床に落ちた、現在の娘の写真を思い出し、鼻に皺を寄せる。
「どうかしら?」
〈蛇〉は首を傾け、彼の顔を覗き込む。
そして、彼の返事を待たずに、「次に……」と、続けて『見返り』の件を彼女が切り出そうとしたときだった。
「私に応じる義務はありませんね」
冷酷にすら聞こえる低い声で、彼はぴしゃりと跳ねのけた。自信満々だった〈蛇〉の顔が、見る間に変わっていく。
「……何故かしら?」
抑揚のない声で〈蛇〉は尋ねた。彼に詰め寄り、重ねて問う。
「あなたは、鷹刀イーレオに復讐したいでしょう?」
「勿論、復讐はしますよ。しかし、あなたと手を組むばかりが、その方策ではありません」
〈蝿〉にしてみれば、〈蛇〉の態度は不愉快でしかなかった。
どう考えても、彼を手駒にしようと画策しているだけにしか思えない。そもそも彼は、初対面の相手をすぐに信用するような人間ではないのだ。
〈蛇〉は顔をしかめ、眉間に皺を寄せた。
「イーレオを捕まえる準備は、既にもう整っているのよ? ……それに、私が頼みたいことは、あなたでなければ、とても不可能な案件なの。引き受けてもらわなければ困るわ」
「私でなければ不可能とは、随分と買われたものですね」
すっと口角を上げ、彼は畳み掛ける。
「〈七つの大罪〉には、私以外にも優秀な〈悪魔〉がいるでしょう? 何も、死んだ私を蘇らせなくてもよかったのではないですか?」
探るように、視線を向ける。対する〈蛇〉も、彼の思考を読んでいたかのように、滑らかに答えた。
「この案件は、どう考えても〈蝿〉の専門分野なの。だから私は初め、〈冥王〉に保存されていた〈蝿〉の記憶を、適当な人間の肉体に入れて、『普通の〈影〉』を作ったのよ」
そう言って、〈蛇〉は軽く目をつぶり、深く息を吸い込んだ。
訝しむ彼の前で一度、息を止める。そして、今度は一気に吐き出すと、一瞬、遅れて彼女の背から光が噴き上げた。
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